先日、「『中島らも』が驚かせたこと」のエントリで書いた通り、中島らも著「今夜、すべてのバーで」という小説のせいで、腐れ縁の友人を思い出すハメに。
実はあの後、わたしは友人にメールを送ってみた。5年前のアドレスへ送信するもエラーにはならず、どうやらメールは生きているようだ。
そして今のところ、返事はない。
元から筆まめなタチではないので、そのうちフラっと連絡がくることを期待しよう。
しかし、あの「一人のアル中男についての物語」がどうしても頭から離れない。しつこいようだが、主人公の人となりや口癖がどれも「腐れ縁の友人」でしかないのだ。
わたしの中での「友人が中島らも本人説」の疑いがどうにも晴れない。
こうなったら、「あの主人公がたまたま似ていただけで、その他の中島らも作品はまるで違うテイストだ」と自覚させる以外に、この欲望に近い好奇心をおさえる方法はなさそうだ。
早速、中島らもの本を検索し適当なタイトルの一冊を選んだ。
「僕にはわからない」
短編エッセイ集のようなものらしい。目次にいくつものタイトルが見えるので、これなら「中島らもの描く主人公はあいつじゃない」と断定できる材料が見つかるだろう。
*
手元に届いた文庫本を開く。表紙に中島らもらしき人物の写真が使われており、この風貌は例の友人とはまるで違うことにホッとする。
パラパラと読み進めた結果、まぁなんと言うか、やはり「他人の空似」どころか、あの小説の主人公だけが友人と酷似していたわけだ。
と、かなりの確率で安心しきっていた108ページ目。
「十年後のお楽しみ」
というタイトルの話で、わたしの安堵は図らずも崩れ去った。内容は、中島らもが占星術師のファンから恋愛運を占ってもらった話。
情熱的でちょっぴり照れ屋。…本人も子供っぽい面を残しているようです。かなり気が多い一面も。…また、恋愛を持続させるのが苦手のよう。…アルコールがはいると大胆になるかも知れません」
こういう僕は「せっかちで結婚を急ぎ」、結婚してからは「釣った魚にエサをやらないタイプで、家のことは妻にまかせきりになる」らしい。しかし「根が単純なので、適当におだてると扱いやすい良い夫になる」そうだ。
ーーおぉ、ドンピシャ!!!
友人は未婚(のはず)だが、釣った魚にエサをやらないタイプであることは間違いない。そして根が単純でおだてるとホイホイ木に登るタイプ。
ーーやっぱり、あいつだったのか。
しかしこの「釣った魚にエサをやらないタイプ」というのは、男性全般にいえるセリフだろう。意中の女性を口説き落とすまではあの手この手でアプローチをかけ、いざ手中に納めた途端に手のひら返すように放置。
女性側からするとかなりの「いい迷惑」だ。
ーーあれほど猛烈にアタックするから、圏外だったアンタを選んであげたのに、なによこの変わり様は!
女性は、口説き落とされてからがスタート。振り向いて目と目が合ったら、そこからようやく始まるのだ。
だが男性はどうやら違う。振り向かせるまでがすべて、目と目が合ったらもう満足。ある意味「そこで試合終了ですよ」(安西先生)ということか。
そんな身勝手な男を代表する友人にこの件について尋ねてみる。すると意外な答えが返ってきた。
「釣った魚にエサをやらないってのは心外だな。これからは余分(過剰)な接待ナシでも仲良くできると思ってるだけで」
どうやら「契約の合意」に至るまでは、接待やら贈答品やらアレコレ営業をかけるが、ひとたび合意となれば無駄(過剰)なパフォーマンスはやめ、必要最低限のコスト(コミュニケーション)で関係構築する、ということらしい。
決して、放置しているわけでも興味が薄れたわけでもないのだそう。
たしかにビジネスに置き換えるとイメージしやすい。
得意先を開拓するため、営業マンはお目当ての企業へ足繁く通い、金を落とし、ご機嫌とりを続ける。だが契約締結となれば、その後は業務内容で勝負すべく本業の成果に注力する。
そうだ、恋愛も契約事なのだ。
いつまでも夢見心地ではいけない。契約内容を忠実に遂行すべく、適度な距離感を保ちながら前進しなければならない、ということか。
ーーよし。あいつから連絡があったら、この件について意見を頂戴するとしよう。
Illustrated by 希鳳
いい視点やなー^_^
あら、どうもありがとう(‘ω’)