狂気の沙汰

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池袋駅で大声をあげる男と遭遇した。酔っぱらっているわけでもなく、やや精神的に不安定な様子だが、偏った思想と意見をただただぶちまけている。

ああいう系の発言が正しいか正しくないかは置いておいて、よくぞそこまで思いを貫けるものだと感心してしまう。

 

たとえば私が通う赤坂のジムでは、毎週日曜日になると街宣車がやってきて、与党議員を名指しで罵倒して去って行く。警察官が何十人も集まる厳戒態勢のなか、事前に届出のあった時間と場所と音量で抗議活動を行う彼ら。

だがシナリオもないのに、よくもまあつっかえることなくスラスラと罵詈雑言を浴びせられるものだと、ともすれば聞きほれてしまう。

ちなみに、新人や演説が下手な活動家だと、ついつい大臣の名前を連呼しがち。だがベテランになると、日本の歴史から外交から政策から議員の名前まで、よどみない弁舌を繰り広げるあたり、やはりキャリアがものをいう。

 

池袋駅の男も赤坂の右翼も、発言内容の真偽のほどはさておき、微妙な空白を作ることなく弁舌を振るえるのは才能である。しかも長時間、カンペなしで流暢に怒鳴り続けるのだから、頭脳だけでなく体力も必要のはず。

とはいえ人前で怒鳴り散らすなどということを、一般人が真似するのは難しい。どんなに腹の立つことがあったとしても、人前で無秩序に大声でわめくなど、やったところでスッキリするとは思えないし恥ずかしい。

 

ところが、だ。この日本において、大のオトナが寄ってたかって、他人の発言中にもかかわらず、大声で罵声を浴びせる環境がある。それは国会だ。

以前、たまたま入った定食屋で国会生中継が放送されていた。どこぞの大臣が発言する最中、遠くの席からオッサンの野次が飛ぶ。しばらくするとまた野次が飛ぶ。しかも四方八方から、いい歳したオッサンらが発言を遮るかのように罵声を浴びせているのだ。

「ふざけるな!」

「そんなの嘘だろ!バカにするな!」

彼らは自らの感情をコントロールできない大人なのか?学校で「人が話しているときは静かに聞きましょう」と、教わらなかったのか?

 

もしこれが会社ならばどうだろうか。たとえば社長訓示の最中に、「それはおかしいだろ!」などと叫ぶバカはいない。仮にいたとすれば、即日、その社員の席は消えることになる。

学校でも社会でも、プライベートにおいても同じことがいえる。他人の話を遮り罵声を浴びせれば、当然、嫌がられるしマナー違反である。討論会ですら、発言に発言をかぶせることはあれど、大声で怒鳴り散らしたり発言者に詰め寄ったりすることなどありえない。

上司が部下に対して、自身のデスクをドンッと叩きながら怒ることすら、今のご時世ではアウト。そんなことをすれば即刻、「パワハラ」で訴えられるからだ。

 

そのくらい、世間一般ではマナーやモラルを厳守しているのに、なぜ国会という場所ではそれらが崩壊するのだろうか。しかも全国放送されているにもかかわらず、いや、全国放送されているからこそ、ここぞとばかりに声を張り上げ野次を飛ばしている。

そんな姿を自分の子どもが見たら、果たして誇らしいと思うとでもおもっているのだろうか?とんでもない醜態を晒しているということに、なぜ気がつかないのか理解に苦しむ。

 

仮にあの野次が、国会で必要な「スパイス」や「華」なのだとしたら、それはもはや時代遅れの発想。

政府主導でDXだのSDGsだの、未来に向けた立派な政策を掲げているクセに、国会という「遺跡」の在り方や必要性について、検討し直さない理由をぜひとも聞かせてもらいたい。

そして、わざわざ地上波を通じて国民に、

「我々はこんなに声を張り上げて、罵詈雑言を浴びせることでストレス解消しています!」

などという活動報告はしなくてもいい。そんなところにカネと時間を使うのならば、もっと別の使い道が山ほどある。

 

SNSでは最近、選挙カーを駐車場のロック版の横に停めるという、確信犯的な違法駐車の画像がバンバン流出している。また、混雑することが容易に予測できる駅前の道路で、わざわざ著名人を携えて演説を行い、市民の怒りと反感を買う候補者もいる。

もはやその選挙活動は時代遅れだし、有権者からも受け入れられていないのだが、それにすら気がつかない「時代錯誤の集まり」が政治家なのだろう。

 

法律違反を犯しながら、市民に不快な思いをさせながら、それでも平気な顔で選挙カーに立ち、笑顔で手を振りながら演説をするなど、正気の沙汰ではない。

「政治家」という立派な職業の人が、まともじゃないはずがないので、やはり単なる時代錯誤の集まりなのだと信じたい。

 

サムネイル by 希鳳

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