たとえばテスト前夜、勉強せずに外へ出かけたり、YouTubeやNetflixから目が離せなくなったりする経験は誰もが一度はあるだろう。まぁこれは分からなくもないというか、そのとばっちりは自分に来るわけで、
「成績がわるくて残念だったね。でも自業自得だね」
で終わる話だ。しかし仕事でもプライベートでも「誰か」と待ち合わせをするような、他人が介入する状況で同じことをしたらどうだろうか。当たり前だが、まったく良くないどころか、ダメだ。
出発直前まで動画を見ていて、
「キリのいいところまで見よう!」
などという腐った根性は論外だが、これと似たような状況で、
「たまたまゴミを見つけてしまい、それを片付けていたら止まらなくなった」
という現象が度々わたしに起きる。しかもなかなかの「病的なしつこさ」があり、さすがに自分自身を疑いたくなる。
どうやらこれは、セルフ・ハンディキャッピング(self-handicapping、略記はSHC)の一種らしい。東京大学教育心理学研究室の伊藤忠弘氏の論文によると、
「SHCとは,自分の何らかの特性が評価の対象となる可能性があり,かつそこで高い評価を受けられるかどうか確信がもてないばあい,遂行を妨害するハンディキャップがあることを他者に主張したり,自らハンディキャップを作り出す行為をいう(安藤,1990)。(中略)たとえ失敗した場合でも,失敗の原因がそのハンディキャップのせいにされるために,自分自身に対する否定的な影響を最小限に止めることができる。また,成功した場合には,ハンディキャップを乗り越えて成功したということで自分の能力の高さが割増されて推測されて,自己イメージの高揚につながる。」
とのこと。セルフ・ハンディキャッピングの説明としては、確かにその通りだと思う。だがこれはテスト前の逃避行為は該当するが、人と待ち合わせをしてその時間に遅れることの言い訳としては、ややサイコパスを疑いたくなる。
よっぽど会いたくない相手との待ち合わせや、関係各所への謝罪行脚の場合は、気が重いしドタキャンしたいと考える気持ちは理解できる。
だが友人や好意的な関与先との待ち合わせに、前日から胸を躍らせているにも関わらず、出掛けに見つけた「一本の髪の毛」が引き金となり、家中の床をコロコロしなければ気が済まない現象に関しては、セルフ・ハンディキャッピングではなく別の名称を授けたい。
わたしはこの病的な行動について、冷静に自分自身の分析を試みた、その結果、2つの仮説を導き出した。
まず一つは、その楽しみをいつまでも味わいたいため、少しでも実行を遅らせようと願う「幼稚な願望」。もう一つは、好意的な相手や尊敬する人物と会う前に、自分自身の清廉潔白を確立させたいという「決意表明」。
サイコパス的なあの現象は、この二つの仮説で証明できる。
そして不思議なことに、約束の時間が迫れば迫るほどわたしは髪の毛を探すことに必死になり、床に顔を近づけ目を皿のようにして、是が非でも髪の毛を拾い上げなければ気が済まなくなる。
その時の心理状態は、自分で言うのもなんだが「異常」といえる。待ち合わせの時間が過ぎてもとにかく舐めるように髪の毛を探し、洗濯機の裏にまで手を伸ばしては髪の毛を探す。そして髪の毛やほこりを発見するとホッとするのだ。
(これは間違いなく病的な行動だ)
自分でもそのくらいは承知の上。そして約束の時間に遅刻していることも、大急ぎで家を出なければならないことも理解しているため、一方では全力で焦っている。
にもかかわらずわたしの目は床から離れず、コロコロに髪の毛やほこりがくっ付かなければ不安に駆られるのだ。
誰に頼まれたわけでもなければ、急を要することでもない。なのにわたしの脳みそ、いや、精神は、抜け落ちた一本の髪の毛に執着を余儀なくされる奇病を発症する――。
*
そういえば先日、妖怪アニメを見ていて思ったのが、彼らの容姿は全員が異なるということ。目の数が一つであったり、三つであったり、もっとたくさんあったり。手足が一本だったり、6本だったり、もっとたくさんだったり。むしろ顔しかないものもいれば、顔がないものもいる。
見た目だけでなく、日光がダメだったり水中でしか活動できなかったり、いわゆる「普通」の基準など存在しない。そして全員が妖怪というジャンルで一致する仲間だ。
その点、人間は基準を設けたがり、そこから外れた人を「普通じゃないから」というよくわからない理由で、社会やコミュニティからはじき出そうとする。異物を嫌う、というより異質の力を恐れているのだろう。
つまり、人間と妖怪が勝負をすれば間違いなく妖怪が勝つ。ということは、普通じゃない人間のほうが妖怪としての可能性を秘めている、という理屈も成り立つ。
――よし、これからも堂々と遅刻をしよう。
サムネイル by 希鳳
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