気道狭窄のクライマックスを迎えた私のその後

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——今日、ついに咳喘息が咳喘息ではなくなる・・という事態に遭遇した。

このアレルギーとの付き合いは、かれこれもう十五年以上になるだろう。なぜか毎年2月の終わりから3月にかけて、空咳が続くようになったのが事の始まり。最初のうちは、デキストロメトルファンやジヒドロコデインといった咳中枢を抑える薬で静めていたが、そのうち効かなくなった。いや、そもそも風邪などの咳反射ではなくアレルギー反応だったのだから、鎮咳薬で改善するものではなかったのだ。

 

咳というのは、気道にある異物を外に出すための防衛反応で、仕組みとしては異物の反応で咳中枢が刺激されて咳が発生する。そして、咳中枢が反応するメモリを上げることで咳を出にくくするのが、咳止めの成分であり作用なのだ。

そのため、咳反応を一時的に抑える効果はあっても根本の治療にはならないため、その裏に隠れた本当の原因(病気)が進行する恐れもあり、やみくもに鎮咳薬を処方するのは危険。

 

わたしの場合、いわゆる風邪の延長で炎症が起きているわけではなく、なんらかのアレルギー反応によって気道内部に炎症が起きて狭窄するか、あるいは気道平滑筋の収縮が極度に起きたせいで、とてつもなく酷い空咳が出るのだ。

その空咳が続いた結果、気道がペッタリとくっ付いたかのような苦しさを感じ、咳と同時に嘔吐(えず)く。・・もうとにかく、この瞬間が苦しくて苦しくて耐え難い。ちなみにわたしは、この状況を「気道狭窄のクライマックス」と呼んでいるが、クライマックスだからといって一度で終わるわけではない。ときには一日に何度も絶頂を迎えるわけで、その瞬間の恐怖といったら思い出すだけでも心拍数が上がるほど。

なんせ、反射的に涙と鼻水が垂れるわ、手足はガクガクと震えるわ、嘔吐寸前まで胃袋がせり上がるわ、極めつけは下気道が痙攣してピッタリと密着する恐怖に襲われるわけで、なにをどうやっても止めることのできない"時限爆弾"を抱えているのだから。

 

それでもこれまでは、一日中咳が出ることでなんとなくクライマックスのタイミングを察知していた。なのに今日、咳が出ることなく突如クライマックスを迎えたのだ。しかも電車の中で——。

 

なんの前触れもなく気道に違和感を覚えたわたしは、バッグからペットボトルの水を取り出し喉を潤した。だがそれでは間に合わないであろう猛烈に迫りくる気道狭窄・・というか平滑筋の痙攣のような症状が、みるみるわたしを襲った。

(・・こうなったらもう覚悟を決めるしかない)

次の駅でドアが開いた瞬間にホームへ飛び出ると、まるで嘔吐するかのような咳と涙、鼻水、震えにうずくまるわたし——あぁ、最悪だ。

 

こんな姿を他人が見たら、それこそ心配されるだろう。そして「大丈夫ですか?」と優しく声をかけられるも、それに答えられるだけの余裕はないため、涙をポロポロこぼしながら「大丈夫」という身振りをするわけだが、今にも嘔吐しそうな咳を繰り返すわたしは心の中でこう願っているのだ——どうかわたしを見ないでください。このまま見ないフリをして・・そう、放置しておいてください。

しかしながら、そんな当人の願いなど他人へ届くはずもなく、怖いもの見たさも含めて有象無象の輩が集まってくるから堪(たま)らない。——要するに、それだけは避けなければならないのだ。

 

そこでわたしは、涙と鼻水を流しながらなるべく人目につかない場所を探した。とはいえ、駅のホームで隠れられる場所などそうあるはずもなく、とりあえずは丸い柱の裏にしゃがんで咳き込んだ。ある程度落ち着いてきたところで、震える手でバッグをまさぐり常備している吸入ステロイド薬を探しあてると、むせるタイミングを見計らってなんとか吸い込んだ。

吸入薬の吸い込み方によっても、薬がしっかりと気道へ届くか否かが決まるため、気道が狭まっている今では効果は薄い。だがそれでも、ステロイドを入れないことには症状が改善されないため、涙と鼻水でぐしゃぐしゃのブサイクな顔を晒しながらも、わたしは何度か吸入を試みた。

(あ、多分これでおさまる・・・)

もはやわたしクラスになると、気道の状態を直に感じることができるため、筋肉の痙攣が解ける瞬間すらも分かるのだ。

 

 

こうして、他人に干渉されることなく気道狭窄のクライマックスを乗り越えたわたしは、再び電車に乗ることができた。そしてこの経験が、わたしをまた一つ強くしてくれたのである。

これまでは外出先で発作が起きるのを恐れて、咳喘息が酷いときには自宅待機を選んでいたが、今日こうして乗り越えることができたのだから、これからはどんな場面でも耐えられるだろう。

しかも不思議なことに、咳のせいで吐きそうになっても絶対に吐かないのだから、そこは自信をもって咳き込んでいい。もちろん、周囲からは奇異な目(殊に咳というものが、敏感に反応される世の中となってしまったため)で見られるだろうが、結果的には絶頂を過ぎれば落ち着くわけで、この流れに例外がないならばしばし苦しみに耐えることで、時間をロスすることなく移動も可能・・ということだ。

 

生きていれば辛いことも苦しいこともある。それでも、一つずつ乗り越えることで経験を積めれば、それこそが人生の幅を広げるステップとなるわけで、むしろ率先して飛び込んでやろうじゃないか。

——このくらいのカラ元気がないと、とてもじゃないがこの苦しみには耐えられない。

 

Illustrated by 希鳳

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