義眼に射し込む光

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アンチエイジングの専門医である友人は、勤務医時代は形成外科医として腕を振るっていた。そんな友人と先日、

「美しさの指標の一つとして、影という要素を無視できない」

という会話をした。

 

たしかに、顔に影があると老けて見えたり暗く感じたりするので、影はない方がいい。

体に関しては、筋肉のカットを浮き出たせるために、影があるほうがいい場合もある。

だが一般的な美ににおいて影は不要。

 

そのとき、ふと母がこぼした不満を思い出した。

母は左の眼球を摘出をしているため、義眼を入れている。しかし手術の影響かどうかは知らないが、義眼を入れたほうの上眼瞼(まぶた)がくぼんでいることを気にしていた。

 

過去に何度か上眼瞼に脂肪を注入してみたが、すぐに吸収され元通りの痩せたまぶたに戻ってしまった。

また、義眼自体を何度も作り直し、かれこれ数十個は作ったのではなかろうか。それでも彼女の気に入る物はできず、そのたびにガッカリしていた。

 

ところが、わたしを含む他人からすると、本人が気にするほど母の左目は不自然な状態ではないのだ。

上眼瞼のくぼみも、言われてみれたそうかもしれないが、義眼じゃなくてもその程度の凹凸はあるし、年を取れば脂肪が消えて上眼瞼も痩せるため、言っちゃ悪いが年齢なりの老け具合いといえる。

 

それでも、自分の顔は自分が一番気にするもの。母はずっと、義眼を入れた左目のバランスを気にしていた。

 

 

「影」という部分で、母が上眼瞼を気にしていることを思い出し、そのことを友人に話したところ、

「義眼は、義眼自体よりも義眼床(ぎがんしょう)によって決まるんですよ」

と、今まで聞いたことのないワードが飛び出した。

義眼床?およそ義眼を支える土台なのではないかと想像できるが、その出来栄えによって見た目が変わるというのは初耳である。

 

ちなみに「義眼床」とは、結膜嚢と義眼台を合わせてこう呼ぶらしい。つまり、義眼を支える義眼床の完成度が高ければ、義眼を装用したときのフィット感やバランスも、当然よくなるわけだ。

そしてなぜこのことを知っているのかといえば、友人が形成外科医だったからに他ならない。

 

「義眼床は、その道のスペシャリストの先生にお願いするべきです。毎年、義眼床の学会が開かれているから、そこで発表している先生なんかがいいでしょうね」

 

聞き慣れない学会だが、検索してみると確かに開催されていた。今年は大阪で開かれており、目力!!目が持つ機能と整容を考えるというテーマでシンポジウムとセミナーが行われた。

こんな学会が存在することすら知らなかったが、逆に考えると、どうやってこの存在を知ればいいのか分からない。

今回はたまたま、友人が形成外科医であったことから話の流れで行き着いた。だがそうでもなければ、義眼床も義眼床学会も知ることなく過ごしていたわけで。

 

夜、タイミングよく母から電話があった。そこでわたしは、友人から聞いた義眼の手術に関する話を色々と教えてあげた。すると母は、

 

「なんか涙が出てきちゃった。もうできることはないって言われたけど、まだ可能性があるのかもしれないと思ったら、嬉しくって」

 

と言って泣いた。

 

わたしからしたら母の顔など見慣れたもので、義眼であることも上眼瞼がくぼんでいることも、違和感どころか何も感じない。

だがやはり、本人にしかわからない顔貌へのこだわりやコンプレックスはあるのだ。

 

義眼床の手術は、患者の肋骨の一部を使用することから、身体的な負担も大きい。

また、「元通りか否か」の二択しかない場合、元通り以外はすべて「失敗」とみなされるわけで、今よりも少し良くなる程度ならば、費用負担や身体的なリスクを考慮すると「率先して行うべきではない」という考えにも頷ける。

 

それでもやはり、可能性が残されているという選択肢は、当事者にとったら希望以外の何ものでもないのだろう。

通話終了後、母からこんなメッセージが届いた。

 

「(中略)この世で最後のまぶたの朗報があるかも?ないかも?でも挑戦しなければ何も変わらないよね。結論はどうであれ、気持ちが弾み若返りました。ありがとう。」

 

気持ちが動くということは、人間にとって非常に大きな意味があるのだと感じた。

 

サムネイル by 希鳳

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