奈良・春日大社の「鹿の角きり」の真骨頂

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野生動物というのは、人間なんぞが考えるよりもずっと頑丈で逞しくできている。

野生の記憶を忘れ去った人間にとって、一見、残酷に見える行為であっても、人為的な手段を使わない方が、野生動物のためになることは多い。

 

だいたい、動物が「ああしてくれ」「こうしてくれ」と、人間に注文をつけることなどがあるだろうか?

我々の勝手な思い込みで、「このほうがいいだろう」「嬉しそうにしている」などと勘違いしているだけで、当の本人らがそれを望んでいるかどうかは分からない。

 

 

とある動画を見た。それは奈良公園にいる雄鹿の角を切るイベントだった。一般財団法人奈良の鹿愛護会によると、

角の生えたオスの鹿は、秋の発情期をむかえると気性が荒くなります。その影響で、当時の奈良町の人びとは、鹿の角に突かれることもありました。そこで奈良奉行の溝口信勝は、鹿の角による事故を防止するため、当時の鹿の管理者であった興福寺に鹿の角きりを要請しました。

ということで、「鹿の角きり」と呼ばれる伝統行事として、1672(寛文12)年から現在に至るまで続けられている。

 

同サイトで、鹿の角きり行事の様子をまとめたYouTubeが載せられているのだが、初めて見た時の衝撃は忘れられない。

 

角きりの特設会場へおびき寄せられた雄鹿らは、勢子(せこ)と呼ばれる警備員らに、徐々に外周へと追い込まれる。

そしてあるタイミングで、勢子が「十字(じゅうじ)」と呼ばれる割竹と縄でできた捕獲具を投げ、角に絡ませてスピードを落とさせる。その後、雄鹿を傷つけないように慎重に縄を手繰り寄せて取り押さえるのだ。

 

そうはいっても雄鹿も必死に抵抗を試みるわけで、大のおとなの男が六人がかりで雄鹿を持ち上げ、角きり専用ベッドへと運ぶ。ベッドには枕まで付いており、本当に寝ることができそうだ。

まずは興奮している雄鹿の気を静めるために、お清めをした水差しで水を飲ませて落ち着かせる。といっても取り押さえられて死に物狂いの鹿が、水ごときで落ち着くはずもないのだが。

 

そしていよいよメインイベント。お清めをした除角専用のノコギリで、ギコギコと角を切るわけだ。その間、雄鹿の口がパクパク動いているので、

「コンチキショゥ!放しやがれ!テメェらまとめてぶっ殺すぞ!」

というような文句を吐いているに違いない。ちなみに、ギコギコの振動に合わせて、雄鹿の小さな顔や頭も小刻みに揺れるため、見ていて可哀そうでしかたない。

「たのむ、もう少し優しくやってやってくれ!」

そんなクレームが聞こえてきそうだが、340年も受け継がれてきた伝統行事には、それなりの理由がある。その真相は後ほど。

 

そして両方の角を切り落とすと、除角終了。しかしよーく見ていると、雄鹿の頭部を押さえつけていた勢子が、鹿の首をナデナデして何か言葉をかけている。

「よく頑張ったな、ありがとうな」

そんな、労いと感謝を伝えているのではないかと思う。つまり、辛いのは鹿だけではない。勢子の皆さんも同様に、辛い気持ちを抑えて取り組んでいるのだ。

 

雄鹿の身体チェックや安全確保が済んだら、せぇので鹿を解放する。角を切り落とされた可愛らしい鹿は、ピョンっと大ジャンプを見せると、一目散に特設会場出口へと駆けて行った。

 

――これはリアルに衝撃的な光景だった。野生動物を力づくでとっ捕まえて押さえつけ、あげくの果てには角をノコギリでギコギコと切り落とすのだから、とてもじゃないが目を背けたくなる。

だが、彼ら鹿たちの安全のためにも、また奈良で暮らす人々や訪れる観光客のためにも、除角というのは必要不可欠な作業なのだ。

 

鹿も大変なんだぜ!

 

ちなみに鹿の角というのは、放っておいても3月くらいに自然に落ちる。

とある動画で、一頭の雄鹿がピョンピョンと走っている最中に、突如として片方の角がポロっと落ちる映像を見た。一瞬、目を疑うようなシュールな光景だった。

 

そしてまた、春になると新たな角が生え始めて、秋には立派な角が完成するのだ。

春先の角は、まだ血が通っている皮膚の延長なので、ノコギリで切ったら当然痛い。だが完成形の角は人間でいう爪と同じで、血も神経も通っていないので切っても痛くはない。よって、安心して見守ってあげてほしい。

 

こうして雄同士の争いや事故を防ぐためにも、毎年10月に角きり行事を執り行っているというわけだが、私はふと疑問に思ったことがある。

「角きりで、誤って死亡した鹿はいないのだろうか?」

ネット検索したところ、なんと該当する記事を見つけてしまった。あぁ、やはりあるのか…と残念に思いながらクリックすると、それは奈良の鹿についてではなかった。

愛媛県松山市での「角切り」についてのニュースだった。

 

2019年10月の記事だが、その年の「角切り」を終えた13頭のうち、10頭が相次いで死んでしまった。その前の年も、角切り後に5頭が死んでいるのだそう。

県の天然記念物に指定されている大切な鹿なのに、なぜこのようなことが起きるのか――。

記事を読み進めていくと、その原因が分かった。

(前略)1頭を解剖した結果、死因は麻酔を打つ時に興奮して出た唾液(だえき)が気管に入って起きる誤嚥(ごえん)性肺炎と判明。内臓にも損傷があり、麻酔で横たわっている間に別のシカに踏まれた可能性もある。

つまり、雄鹿に麻酔を打って眠らせて、そのすきに角を切り落としていたのだ。

 

これを読んで、奈良の勢子たちがいかに偉大で、いかにプロの職人であるのかが分かった。江戸時代から続く伝統行事の価値とプライドを守るべく、熟練のベテランたちが自らの怪我をも覚悟で雄鹿に挑んでいるのだから。

そして最後に、首を撫でながら労いの言葉をかける――。雄鹿は怒り狂っているだろうが、それでもどこかで心は通じているのではなかろうか。

 

麻酔注射を打ち、意識のない状態で除角作業が終われば鹿も人間も安泰だろう、という考えはある意味間違いではない。だが実際に、結果として多くの鹿を殺しているのだから間違いである。

 

古くから続く伝統行事というのは、やはりそれなりの意味があるものなのだと、改めて唸らされた。

 

画像/松本一郎選手より提供

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