きらきら

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コロナ禍ですっかり定着した「リモートなんちゃら」。そもそも仕事で対面することはないし、柔術は対面じゃなきゃできないし、わたしには縁のない環境だと思っていたリモートなんちゃら。

ところが今日、とうとう「リモート」が発動された。それはピアノのレッスンだった。

 

いやいや、ピアノのレッスンこそ先生の目の前で弾くものだろう。そしてその場で先生が手本を見せてくれて、それを生徒が真似して、また直されての繰り返しでレッスンが進む。

だがオミクロン株のまん延により、我がピアノ教室もリモートレッスンへと切り替わったのだった。

 

しかし困ったことに、ウチは楽器禁止のマンションである。禁止にもかかわらずピアノを入れているわけで、バレたら即退去だろう。そのため日々の練習は、サイレンサーで音を消してヘッドフォンで聞きながら弾いている。

だがサイレンサーの特徴として、音の強弱がほぼつけられないという衝撃的な欠点がある。高価なサイレンサーならばそんなことはないようだが、わたしは購入当初にケチったため、音の幅が3段階くらいしか変わらない安物を装着してしまたのだ。

そのため、レッスンのたびに自分が打鍵する音のデカさにビビるという、なんとも情けない時間を過ごしている。

 

演奏を動画撮影して先生に送るのだが、堂々と音を出せる場所といえばピアノのレンタルルームしかない。そこで近所のスタジオを予約して乗り込んだ。

 

 

相変わらずケチで貧乏なわたしは、最初の一時間はアップライトピアノを、そして後の一時間はグランドピアノを借りることにした。願わくば二時間ぶっ通しでグランドピアノを借りたかったが、予算的に無理があったためこの妥協案となった。

 

それでも、レンタルスタジオのアップライトピアノを叩いて驚いた。ウチのピアノと同じヤマハだが、音の響きや鍵盤の重さがまるで違う。

アップライトピアノって、本当はこんなにも箱の中で響いてるんだ――。

 

とりあえずは動画撮影前に散々練習して、今日のところの最高の演奏を収めてやろうと考える。しかし課題曲は4曲あり、さらに一曲5分はかかるので、一回ずつ通して弾いても30分を費やしてしまう。

(仕方ない、ここは賭けにでるしかない!)

先生も、あれこれ下手くそな演奏をたくさん聞かされたら疲れてしまうだろう。そこでわたしは気を利かせて、4曲中2曲だけ収録して送ることにした。そう、勝手に決めたのだ。

 

これで荷が軽くなった。言い訳としては、

「レンタルルームが一時間しか借りられなくて、練習してから撮ろうと思ったら時間がなくなっちゃって・・・」

これでいこう。これは実際にあり得るシチュエーションだ。先読みのできるわたしは練習時間も含めてちゃんと二時間おさえたが、おっちょこちょいはケチって一時間しか予約せずに、ぶっつけ本番で撮影することになるだろう。

 

こうして前半戦を終え、後半戦となるグランドピアノの部屋へと向かった。

 

 

幼いころからグランドピアノで育ったわたしは、アップライトに比べるとむしろこっちとの付き合いが長い。物心がついた頃にはピアノの上に座ったり、鍵盤をいじったりしていたわけで、むしろ懐かしさを感じる。

 

普段のレッスンでもグランドピアノを弾くが、先生の家はマンションゆえ、ピアノの弦にフェルトを挟んで音の響きをおさえてある。つまり、デカい音が物理的に出ない仕組みになっているのだ。

音量の幅が狭まる分、小さい音はより小さく、普通の音はやや小さく、大きい音はさほど大きくない音へと自動変換されるため、ネガティブな意味ではなくとても弾きにくい。

 

(こんな気持ちでグランドピアノに向かうのは、20年以上ぶりか)

 

正月など帰省の際に自宅のグランドピアノを弾くことはあったが、背中のフタを開けることもなければ真面目に弾いた覚えもほとんどない。大学受験でわたしのピアノは終わっていたからだ。

だが今になって再び、指導してもらうためにグランドピアノに向かうとは思ってもみなかった。しかも調律済みの立派なピアノを、スタジオで心置きなく叩けるなんて。

 

(どうあがいてもこれ以上にはならない。今をしっかり受け止めるんだ!)

 

そして練習曲を弾き始めた。

 

下手であることは間違いない。どう転んでも上手い要素は見当たらない。だが生意気にも、懐かしさと扱いやすさだけはすぐに取り戻した。

少なくとも二年は触れてきたアップライトピアノ。なのにどうしても馴染めなかった鍵盤の感触。なにが違うのか分からないが、打鍵が重くて深くて、弾きにくくて仕方なかった。だがその理由がいま分かった。

 

(グランドピアノじゃなかったからなのか)

 

鍵盤の数は同じ、ペダルの数ももちろん同じ。でも何かが違うどころか、まるで違う楽器だと感じていたあの感覚は、間違いじゃなかった。これは別物だ。明らかに別の楽器だ――。

アップライトピアノだと弱い音、いや微(かす)かな音が出せなかった。さらにペダルは、ボヨンボヨンと遊びがありすぎて踏みあぐねていた。だがこのピアノならしっくりくる。触れるように弱い音が出る。ペダルもちょっと体重を乗せただけで響く。――鍵盤が浅いって、ペダルに遊びがないって、なんて素晴らしいんだ!

 

今のピアノの実力は、柔術でいうところの白帯。謙遜でもなんでもなく事実としてそうだし、全力で白帯の実力である。それは恥ずかしくもなんともない。青帯になりたければ、成長すればいいだけのことだから。

 

 

遠い昔、ピアノの音をいくつも出すことができた。音の強弱ではなく、言葉では表現しにくい「違い」を音にすることができた。無論、今はできないし今後も無理だろう。

だけどあの頃、わたしはグランドピアノを弾いていたんだと気づかされた。グランドピアノだからこそ、あんなキラキラした限りない音が出せたんだ、と弾けなくなった今ようやく知ることができた。

それだけでも儲けものだ。

 

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