お前らへ(その一)

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塩野七生の著書「男たちへ」を読んでいると、共感を通り越して私だとこれかな、というコンバート(変換)が頻繁に起きる。

 

若かりし頃、さぞかしモテたであろう塩野さんはローマ暮らしが長い。

そのせいか、身につける衣服やアクセサリーは洗練され、年齢を超えた美しさとエロさを纏う。

 

そんなモテ女の口から発せられる言葉に、男どもはひれ伏しメモをとるのだろう。

非モテの私からしたら、かなり縁遠い話でどうでもいいことだが。

 

やっかみは置いておこう。

「男たちへ」のなかで、なるほどと思うことがある。

 

これは和田勉が、丹波哲郎と向田邦子との舌戦(対談)を繰り広げた際の一部抜粋だ。

 

向田邦子 

「それは丹波哲郎という人を演っているのであって、作者が書いて演出家がイメージした人間を演るということとは、微妙にズレませんか」

 

丹波哲郎

「そのズレは役者はかまわないし、いっこうに気にならない」

 

向田邦子

「私たちはそのズレのコンダクトを、演出家にゆだねるわけよ」

 

(中略)

 

丹波哲郎

「『黄金の日日』の宗久のカツラだって、あれが一番簡単だし自分に似合うからつけているのであって、役柄ということには関係なしです。

一番大事なのは、役者は手前の匂いを出すことだ。

役の性格を掘り下げるのは演出家のやる仕事で、キャスティングのときに、その役に近いのは誰だということで丹波哲郎をもってきたのだろうから、あとは演出でカバーしてくれ。

われわれは自分の匂いで好き勝手に演るだけということです」

 

これには唸らされた。

私は役者ではないので、役に入る心境とかそういったものはまったく分からない。

 

だが、原稿を書いていると似たようなことを思う。

 

私をキャスティングしたんだから、勝手にやらせてもらう。

その後の尻ぬぐいは編集でカバーしてくれ。

 

思いっきり上から目線だが、自分が埋められない溝の始末を編集者に押しつける作戦だ。

(いやいやその前に実力をつけなさい、などという正論は聞こえない)

 

 

先日、友人にイラストを依頼したときのこと。

私の脳内イメージを上手く言葉にすることができず、曖昧な表現や例えを重ねていた。

 

私としては、友人のセンスを買っての依頼であり、私のイメージなど正直どうでもいい。

しかし友人は、私のイメージを忠実に再現しようと言葉を探る。

 

何度もキャッチボールを繰り返し、これは?これは?といくつものイラストを提案する友人。

だがどれもピンとこない。

とは言え、好意で描いてくれるので無下にはできない。

 

「もう少し、パステルカラーでどうかな?」

 

「じゃあ、暗い感じは省いてポップな感じはどうかな?」

 

私がピンと来るどころの話ではない。

彼女にピンと来てもらうために、いろいろな言葉を投げかける。

しかし私が待ち望む作品はまるで出てこない。

 

「もうこれまでの話は無視して、好きに描いてみて!」

 

ドツボにハマりかけていることを察知した私は匙を投げた。

そして投げた匙の先に、答えがあった。

 

彼女の好きに描かせたイラストこそ、私がイメージすらできなかった作品で、もっとも欲しいテイストだった。

 

「これでいこう!」

 

なぜ彼女を選んだのか、それは彼女のセンスや感性を買っているからに他ならない。

私にないものを持っている彼女だからこそ、私に見えない何かを見せてほしかった。

 

そして出来上がったのは、ポップでカラフルな薄汚れた和式便所にデカイ蛾が死んでいるイラスト。

 

これをイメージしろ、という方が無理か。

 

 

先の続き。

 

丹波哲郎

「楽屋裏を打ち明ければ、役者というのは演出家の言うことなんか聞きやしないとさっき言ったけれど、演出家を喜ばせようという気持ちが、潜在的にはどこかにあるんです。

だからマトは、実に至近距離にある。

ドラマを見ている人たちに喜ばれようというのではなく、いまそばにいてギャーギャー言っている和田勉を喜ばせてやろうという気がどこかにある。

一〇〇メートル先の蠅の目玉を撃ち抜くような、至難のわざをやるのではない。

一メートルの近距離からライフルで撃つようなものだから、絶対に当たる」

 

これは至極同感だ。

原稿を書くのに、そこにいる編集者を撃破すればいいのと同じだ。

 

もっと言うと、自分自身のマトさえ確実に狙えていればそれでいい。

 

ピストル射撃の話だが、10メートル先にあるわずかに見えるか見えないかのちっちゃな黒点のど真ん中の10点圏を狙うことなど、物理的に不可能。

 

だがトリガーが落ちた瞬間、

「しまった」

とか、

「よし」

と間違いなく感じるわけで、どこに当たったのかは自分で分かる。

 

そのくらい手前の状態に絶対的な自信があれば、10メートル先の見えないマトにも確実に当てられるのだ。

 

 

このエントリを書きながら、タイトルをどうしようか悩んでいた。

タイトル職人の友人に相談したところ、

 

「内容によるから、どんな感じで考えてるの?」

 

と、もっともな返答。

なんだかんだと説明をするも、ピンとこない様子。

今書いている内容を具体的に伝え、今後もこのシリーズを継続したい旨を伝えると即答で、

 

「お前たちへ」

 

と、ただ一言送られてきた。

 

塩野七生の著書は「男たちへ」という、センセーショナルでセクシャルな響き。

ならば私は「お前たちへ」で、傲慢かつ単純明快に収まるということか。

 

「私」という人間を正しく理解しているからこそ、一発で納得のいく回答を与えてくれるのが友だちというやつだろう。

 

 

見えない大勢より、目の前の確かな一人を口説き落とす勇気を。

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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