内定を引き寄せた、リアル麻雀牌🀄️

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入社試験の最終面接、ポケットに7個の麻雀牌をしのばせて参上したのは私くらいだろう。

 

たった一人の狭き門を、およそ15人で争う最終面接。

敵意むき出しの学生らが集う待合室には、殺伐とした空気が漂っている。

 

そんな中、私が持参した資料は東スポと麻雀牌。

 

東スポには理由がある。

今日は金曜日ゆえ、明日の競馬についての情報収集をするためだ。

 

麻雀牌にも理由がある。

最終面接にあたり、

 

「大学生活で学んだことを発表してもらうので、その資料をお持ちください」

 

と言われた。

 

私の大学生活で学んだこと?

 

どれだけ思い返しても見当たらない。

卒業論文など20分遅刻で提出、しかも閉められたドアの隙間から滑り込ませて。

 

まともに勉強をしなかった私に残された唯一の「学び」は麻雀。

週6日、徹夜で勤しんだ麻雀を語らずして私の学生生活などあり得ない。

 

そして選ばれし相棒は、東・南・西・北・白・発・中という7つの麻雀牌だった。

 

 

とはいえ、このピリついた無駄な緊張感はなんだ。

何をブツブツ練習しているんだ。

 

スーツに身を包み、持参した資料に目を通しながら面接の予行練習。

しかもここにいる全員が全員、同じことをしている。

 

自分なりの一張羅(オシャレな私服)で東スポを脇にはさみ、手ぶらで現れた私は完全に異星人。

脱落者一人現る、といったところか。

 

(私からしたらお前らの方がずいぶんと気持ち悪いが)

 

「あの・・」

 

案内係が声をかけてきた。

 

「ここでスポーツ紙を読むのは、遠慮してもらってもいいですか」

 

震える声で、顔を紅潮させながら続ける。

 

「みんな真剣に待っている場所なので・・」

 

そう言って部屋の隅へ捌けた女性は、仲間に肩を抱かれて泣き始めた。

きっと精一杯の勇気を振り絞って私へ注意をしたのだろう。

 

みんな真剣に待っているーー

 

私は不真面目に見えたということか。

所詮、見た目がすべての企業文化とはこんなもんだ。

着眼点がズレているし、確認すべきはそこではないはずだが、まぁいい。

 

そして私の名前が呼ばれた。

 

部屋の中には会長を筆頭に役員がずらりと座っている。

 

「資料は何もないのね?」

 

会長が私に尋ねる。

東スポは待合室に捨ててきたので、本当に手ぶらだった。

 

「一応、これだけ持ってきました」

 

ポケットから麻雀牌を出し、テーブルの上に並べかけた途端、はじっこに座っていた役員が声を上げた。

 

「キミ、何してるんだ?失礼だぞ!」

 

言われている意味が分からない。

麻雀牌を並べることが、失礼?

 

会長は顔色を変えず、麻雀牌を見つめながら質問した。

 

「私は麻雀をしたことがありませんが、これは面白いのですか?」

 

そこで私は、麻雀からどれほど人生を学んだかを話し始めた。

 

麻雀卓の上では、性別も年齢も力の強さ弱さも関係ない。

真っ向勝負を挑んで散ることもある。

ブラフをかけて相手をだますこともある。

ライバルの勢いを殺すために、わざと他人に振り込んで手助けをすることもある。

意思疎通のできる仲間と麻雀をすれば、会話をせずとも自然とコンビプレーが成立することもある。

 

こんなことは人生でも同じだ。

だから私は、女であっても男と対等に戦ってきたのだ。

 

話し終えると、会長の隣りでずっと笑いをこらえていた理事長が言葉を発した。

 

「それで、その麻雀牌で何を見せてくれるのですか?」

 

理事長は麻雀が好きだ。

役員が声を荒げたときも、まぁまぁと制してくれたのは彼だった。

 

私は早速、盲牌(指先で何の牌かを当てること)を披露した。

麻雀をある程度やっている人ならば、字牌の盲牌が簡単なことはわかるはず。

 

それでも会長は目を輝かせて喜んでくれた。

しかも一発目は「白」、つまり何も書かれていないツルツルの牌なので、麻雀を知らない人でも当てられるのだが、

 

「これは白です」

 

「あらすごい!」

 

と、無邪気に喜んでくれた。

それに比べて他の役員は、顔面蒼白+怒り心頭だったことは言うまでもない。

 

 

持ち時間を使いきることなく、ものの5分で私は帰らされた。

 

 

そして最寄駅へ向かう途中、内定の連絡をもらった。

 

 

著名な作家でもある会長は常日頃、

 

「本を読まない人はバカです」

 

と言っていた。

本を読まないあなた(私)はバカです、と言われているようなものだ。

 

そんなバカな私が初めて読んだ会長の著書は「人間の分際」。

 

「やればできる」というのは、とんでもない思い上がり。

ほとんどすべてのことに努力でなしうる限度があり、人間はその分際(身の程)を心得ない限り、到底幸福には暮らせない。

 

この言葉は私を救った。

「おのれの身の程を知れ!」と厳しく叱責されたことで、やればできるの呪縛から解かれた。

 

そうだ。

世の中にはどんなに努力をしても超えられない壁がある。

全員を一直線に並べて「やればできる」などということは、暴力と同じだ。

 

挑戦することや努力することが目的の場合、やればできるに異論はない。

重視すべきが結果ではなく、その過程にあるからだ。

 

しかし、

試合やコンクールで優勝できないーー

 

これについては、どうしたって勝てない人はいるし、見ればおよそわかる。

それでも「やればできる」と魔法をかけられた結果、心の傷が増えていく。

 

身の程を知ること、つまり自分自身を把握したうえで客観視すること。

 

これこそが進むべき道の判断を支え、人生を充実させるということを、会長の本から学んだ。

 

社会人1年目の収穫はこれだった。

 

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2件のコメント

大昔だけど
「男は黙ってサッポロビール」と言って花瓶の水を飲み見事採用!!

より凄いわww

花瓶の水・・・w
なんでサッポロビールなのかわかんないけど、昔は勢いで乗り切れたんだよね。

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