麻雀を打つ、ということ。

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人生で最も「人生の勉強」をさせてもらったのは、紛れもなく麻雀だった。

 

麻雀との出会いは、大学一年生。

正直、なんでバイト先に雀荘を選んだのか覚えていない。

ただ、雀荘というカルチャーは自分にフィットしていると感じていた。

 

大隈商店街にある雀荘「麻雀No. 1」で、私はバイトを始めた。

麻雀なんて打ったこともなければ見たこともなかった。

 

 

雀荘のバイトは2人一組でシフトが組まれる。

 

バイト初日は、法学部のマサさんとだった。

マサさんは、競馬と麻雀と巨人を愛するわりと古風なイケメンだった。

 

バイト2日目は、商学部の蹄さんとだった。

蹄さんは、学生当時からオッサンの風格のあるとても賢くエロい人だった。

 

バイト3日目は、第一文学部のアベとだった。

激弱のイジラレキャラを確立していたアベの顔面は、常に緑色だった。

 

バイト4日目は、法学部のヤスキとだった。

あまり本性を見せない物静かなタイプだが、酔っぱらうとはじける単純な人間だった。

 

バイト5日目は、社会科学部の岩崎さんとだった。

「カイジ」か「アカギ」を地で行く、生粋のギャンブラーだった。

 

このあたりが、雀荘バイトの主要メンバーだ。

 

バイト開始早々、派手にやられた私は初月のバイト代は0円だった。

 

そう、この先輩らは容赦なく私から金をむしり取った。

そして彼らの口癖は、

 

「本気で打たずに、強くなれるとでも思ってんのか?」

 

悲しいかな、週6~7でバイトに入っていた私の財力は、先輩らに完全に掌握されていた。

つまり、うまく調整されながらきっちりと搾取された。

 

しかし徹マン(徹夜で麻雀)後、全財産を搾り取られた私に、先輩たちは一風堂のラーメンをおごってくれた。

まぶしい朝日を浴びながら食べる一風堂は、今でも忘れられない味だ。

 

 

私に、競馬と麻雀と巨人(野球)を教えてくれたのは、まぎれもなくマサさん。

野球はさほど興味がわかなかったが、その他はドはまりした。

 

シフト上、土曜の徹マンに私とマサさんのペアで入ることが多く、朝になるとその足で府中か中山へ向かった。

そう、競馬場へ。

 

「おまえ、明日府中行くんだから金とっとけよ。飛ぶんじゃねーぞ」

 

マサさんは、私の競馬への余力(余財)を気にしてくれる優しい先輩だ。

私が飛びそう(註:払える点棒がなくなること)になると、うまいこと調整し生き残らせてくれた。

 

「おいアベ。オマエのリーチでコイツ(私)飛ぶぞ。

少しは考えて打てよバカ」

 

雀卓を蹴りながら、マサさんはアベを叱る。

 

「あ、ほんとだ。リーチやめます」

 

アベも素直に聞き入れる。

 

こうして私は、首の皮一枚残されるのだ。

キレイさっぱり飛ばして(終わらせて)くれればいいものを、決して殺さず生き地獄を味わわされるのだ。

 

 

そうこうするうちに、さすがに負けなくなってきた。

これまでは一ヶ月のバイト代が全額、先輩らのお小遣いに回っていた。

が、3か月くらいすると、バイト代が私の手元に残るようになった。

 

点数計算も覚え、相手に振り込まなくなり、最低限迷惑をかけない麻雀が打てるようになってきた、そんなある日。

 

 

場は南4局オーラス、私は断トツのビリ。

トップは「親」の蹄さん。

「2家」マサさん「3家」岩崎さん。

 

2家と3家は微差の接戦。

「ウマ」を採用しているため、この2人の争いはし烈だった。

※ウマ:4位→1位、3位→2位へ、別途点数を分配することで、より差をつけるルール

 

同時に、私は「ホンイツ(混一色)」がイーシャンテン(註:テンパイの一歩手前)だった。

リーチして裏ドラ乗ればハネマンあるぞ!と、ウキウキしながら手を進めて行った。

 

その時、

 

「おまえ、勝負の邪魔するなよ」

 

下家(シモチャ)で「親」の蹄さんが囁いた。

 

(リーチ・ホンイツで満貫(マンガン)確定、決して悪い手ではないのに、なぜ??)

 

蹄さんはカワ(註:場に出ている捨て牌のこと)を見つめたまま、見向きもしなかった。

場は静かに続いた。

 

「おまえさ、その手で倍満(バイマン)以上確定すんの?

じゃなければ、二人の勝負の邪魔をするな」

 

 

――背筋が凍った

「二人の邪魔」とは、2家のマサさんと3家の岩崎さんとの争いのことだ。

 

私の持ち点(数千点…)から、仮に岩崎さんから直で振り込んでもらったとしても、順位に変動はない。

マサさんから直で振り込んでもらえば、マサさんが3家、岩崎さんが2家となるが、私のビリは変わりない。

 

要するに、倍満を確定させずにリーチすることは、自分の順位が変動しないため無意味なこと(持ち点は増えるが)なのだ。

 

さらに「ウマ」が乗るため、2家と3家では大きな差が出ることを踏まえると、順位の変動を伴わないリーチは、2家3家争いをしている二人の邪魔をすることになる。

 

これは、ある意味「マナー違反」と言える。

 

そして、長い目で見ると自分自身の「ツキ」を逃がすことにつながるのだ。

 

蹄さんの手をみるとすべてツモ切り。

つまり、ある程度テンパイ(註:あがれる状態)させながら、アンパイ(註:相手に振り込まない安全な牌)を切っていたのだ。

 

オーラスでトップの蹄さんにとって、この2人に振り込みさえしなければトップキープで逃げ切れる。

しかし下手に振り込めば、手によっては「3家」まで見えてしまう。

つまり、ある程度のところで自分がツモアガリするつもりだったのだろう。

とは言うものの、後輩たちの熱いバトルも見ものだったため、しばらく流れを静観していた、という感じか。

 

――私は顔から火が出るほど恥ずかしかった

 

麻雀がこの1局のみで終結するゲームであれば、なにしたって構わない。

しかし、また次の半荘(註:ゲーム)が待っている。

もっと言うと、明日も明後日も麻雀は続く。

 

長い目でみた時、この場をどう乗り切るのかで訪れる未来が変わる。

 

勝てもしない、負けをやや減らす程度の盲目的なリーチでこの場を荒らすことが、自分の未来のツキを殺すことになる。

 

そういうことを私はまだ知らなかった

 

 

結局、私はベタ下りした。

蹄さんは非常に賢い人なので、あの発言自体が「ブラフ」だった可能性もある。

 

ただ「2人の勝負の邪魔をするな」という意見は、間違いなくその通りだと思った。

 

そこから、私の「麻雀人生」が始まった。

 

 

麻雀はセンスやテクニック、そして運が必要なゲームだ。

しかし、4人の得体のしれない人間どもが打つということは、自分一人の力ではどうにもならない、不可抗力の「流れ」が生まれる。

その流れをどう支配するか、どうやって流れに抗うのか、もしくは従うのか。

 

私は、空気(流れ)をかぎ分ける「嗅覚」を麻雀で鍛えられた。

いま、自分は進むべきか、耐えるべきか。

誰の足を引っ張ればいいのか、誰をアシストすればいいのか。

 

これは社会生活とまったく一緒だ。

 

本当に嬉しいのはバカ勝ちしたときではない。

私の “戦略” によって場が動いたときだ。

 

雀卓を囲む4人の運命を「私」が動かしたとき、物理的には表現できない喜びとエクスタシーを感じる。

 

それが、麻雀を打つ、ということだ。

 

社会人になってから麻雀を打つ機会がなくなった。

たまには、あのヒリヒリするような勝負の世界を思い出したいな、と思わなくもない今日この頃。

 

 

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