「履歴書なんて、いくらでも詐称できるよね」
ヘッドハンターの友人との会話。彼女は外資系企業へバイリンガル人材の紹介を行っている。
外資系企業のように、
「その人に何ができるのか、これまで何をしてきたのか」
が重要視される土壌では、リファレンスチェックは一般的。
優秀な人材を確保したい外資系企業にとって、やりようによっては簡単に詐称できてしまう「履歴書」よりも、共に仕事をしてきた同僚や上司のリアルな言葉こそ、知る意味があり期待する価値がある。
だが日本企業でコレをやると、
「疑われているようで心外だ!」
と感じる採用候補者が多く、あまり受け入れられない。
ましてやリファレンスチェックは無料ではない。費用をかけてまでその人の過去を探ることに抵抗があるのは、仕方のないことかもしれない。
逆に考えると、そのくらい「誰でもいい」とも取れる。
「どうしてもこの人が欲しい!」
というように「個」に惚れたわけではなく、とりあえず大学を出ていて、こういう資格を持っていて、前職が有名企業であれば大丈夫だろう、というなんとも「曖昧な安心感」を抱く日本企業は実際のところ多い。
その点、「個」を重視する外資系企業だからこそ、人物像の誤解によるミスマッチがないよう、事前にリファレンスチェックを行う。
たしかに、出社するとオフィスのロックが解除されず、おかしいなと思っているところへメールが届き、
「あなたの席はもうありません」
と言われるシビアさは、日本企業にはない。
ないどころか、不当解雇による訴訟の扉が開かれるわけで、絶対にそんなことはできない。
外資系企業は人間性を重要視する企業文化といえる。
シビアな反面、人間味あふれる関係性があるからこそ、このような大胆な対応が可能となるのだ。
*
しかし経歴というものは、調べないかぎり確かめようがない。
出身校など、卒業証書や卒業証明書がなければ言ったもん勝ち。むしろ、証明書すら捏造してしまえば何とでもなる。
さらに裏口入学の場合だと、その大学へ入学できる学力すら証明できないわけで、どこの大学を卒業したのかなど何の意味も持たない。
これなら、
「甲子園出場」
「インターハイ、インカレ優勝」
「国体○位」
のほうが客観的に確認ができるし、正当な実力が証明されるだろう。
ーーそうだ。これからは学力というくだらないものさしではなく、大会やコンクールの成績、趣味や特技の成果物を提出することで人物評価をするべきだ。
そのほうがよっぽど、正確で偽りのない「その人」が見えるだろう。
どうせ仕事でなど、授業で学んだ教科が生きることはない。
言っちゃ悪いが「古文の季語」が、仕事でどう生きるというのか。
古文といえば高校の頃、全国模試を受験した際にこのような問題があった。
「作者はどちらの方角を向いていたか答えよ」
カギとなるのは、「雁(かり)の群が飛んで行った」という記述だ。
これは、冬を越した雁が北方のシベリアへ帰っていく習性から、この作者は「北を向いていた」と答えさせたい問題。
ところが、わたしは別のヒントに気が付いた。
文中には、「夕日に向かって飛んでいく」「燃えるようなまぶしい夕日」というような記述があった。
つまり作者は、西へ沈む夕日を見ながらこの歌を詠んだともとれる。
選択肢は東西南北の4択。
明らかに「北」と答えさせたい目論見は理解できる。だが、「夕日がまぶしい」ということは、夕日を直視しているわけで、その夕日に向かって飛んで行ったのならば北を向いていない。
わたしは「西」を選択し、マークシートを塗りつぶした。
解答速報は当然のごとく「北」となっている。そして予想通り、納得のいかないわたしは猛烈に抗議した。
その結果、この解答に疑義を抱く受験生も多かったようで、最終的には「北」と「西」の2つが正解となった。
季語を理解できているかどうかのテストだったようだが、夕日がまぶしいのならば西を向いているし、夕日に向かって飛んで行ったのならば、西と考えるのが妥当。
こんなところで2点を左右されるようなテストで、その人の何がわかるというのか。
*
というわけで、履歴書だの職務経歴書だの、そんな詐称可能な書類にこだわる意味がわからない。
そんな物より自分の直感を信じろ。
己の嗅覚で正解を引きずり出せ。
自社の社員というものは、人間で例えれば内臓や手足と同じ存在。それを、履歴書と一瞬の面接のみでどうにかしようとするなど、怠惰と呼ばずしてなんと呼ぶ。
「自分ごと」として捉えるならば、もっと動物的本能に頼るべきだ。
ということで、そろそろオリンピックの中継に戻るとしよう。
Illustrated by 希鳳
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