社会人一年目、わたしが初めて覚えた言葉は「ジュッカン」だった。
初めて覚えたというか、初めて聞く言葉だったので記憶に残っている、と言ったほうが正しいかもしれない。
いずれにせよ、そのインパクトと略し方のカッコよさに、「わたしもいよいよ社会人なんだ!」と感動したことを覚えている。
わたしはその年、日本財団の国内採用枠で選ばれし「ただ一人の人材」だった。
しかしその後、「あの年は最悪のハズレ年だった」と、伝説の採用ミスとして語り継がれることとなった。
そのくらい、怒られたり迷惑をかけたりした記憶しか残っていないのだ。
そんなわたしが覚えた”社会人ぽいワード”といえば、「福利厚生」「コーヒーは会議費」「出張」「稟議と決裁」などだろうか。
少なくとも、アルバイト時代には縁のない言葉ばかりなので、そんな言葉を口にする自分が「大人びていてカッコいい」と思ったのだ。
とくに「福利厚生」など、意味を理解していないにもかかわらず、あえて会話の端々に使用していた。
「福利厚生ってことで、いいんじゃない?」
「てか、やっぱ福利厚生だよね」
*
ある日のこと。広報チームに所属するわたしの元へ、北朝鮮の工作船に関するニュースが飛び込んできた。
2001年12月、九州南西海域にて不審船が発見された。これに対して、海上保安庁の巡視船が追跡し、停止命令および威嚇射撃を行うも不審船は逃走。さらに、自動小銃やロケットランチャーにて銃撃してくる不審船に対し、巡視船が正当防衛射撃を行った結果、不審船は沈没し事態は終息した。
その後、2002年9月に海中より引き上げられた不審船の船体からは、潜入・脱出に使用するための道具や小型ボート、殺傷力・破壊力のある武器が多数発見された。
本来、調査後にスクラップ予定だった工作船。それを、日本財団が全額費用負担することで、検証現場の鹿児島港から東京・お台場にある「船の科学館」へと移送し、2003年5月から半年限定で一般公開したのだ。
この件こそが、わたしの初仕事となった。
そして当時の直属の上司というか先輩が、話の流れでわたしにこう言ったのだ。
「それはジュッカンに確認しないと、分からないね」
・・・ジュッカン?ジュッカンに確認ですか??
なんだかよく分からないが、響きがめちゃくちゃカッコいい。そもそも本件は重要な案件であり、ジュッカンという単語の価値はかなり高いに違いない。
しかし、ジュッカンを知らないことがバレたら、わたしは先輩からどう思われるのだろうか。こいつ、仕事もできないくせにジュッカンも知らないのかよ…と、愛想を尽かされるかもしれない――。
そこでわたしは、同じ広報チームで仲の良いカメラマンの同僚に尋ねた。
「ジュッカンって、なに?」
すると彼女はこう答えてくれた。
「カイホのことじゃない?」
(・・・・・カイホ?)
ジュッカンが分からないので質問したのだが、さらにカイホというニューワードが飛び込んできた。これによりわたしは、錯乱状態に陥ってしまった。
ジュッカン、カイホ、ジュッカン、カイホ・・・。
呪文のように、頭の中をグルグルと回る謎の単語たち。
(このままでは仕事に支障が出る。間違いなく支障が出る)
意を決したわたしは、先輩にジュッカンとカイホについて教えを乞うた。すると、
「あぁ、カイホは海上保安庁のことで、ジュッカンは第十管区海上保安本部のことだよ」
と、サラリと教えてくれた。
海上保安庁は、日本全国を11の管区に分けて、海上における犯罪の取締りや領海警備、海難救助など、海の安全と治安の確保を行っている。
そして第十管区海上保安本部は、鹿児島、熊本、宮崎の3県とその周辺海域を管轄区域とし、南九州周辺から東シナ海におよぶ南北約700キロメートルと、東西約1,000キロメートルの、広大な海域を担当している。
つまり、海上保安庁と第十管区海上保安本部を短縮すると、それぞれ「海保(カイホ)」と「十管(ジュッカン)」になるわけだ。
――この後しばらく、わたしが毎日「カイホ」と「ジュッカン」を無意味に使いまくっていたことは、想像に難くないだろう。
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