悪魔の使いと平和の象徴の逆転劇

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わたしの勝手な考えだが、カラスといえば鋭く立派なくちばしを携えた、強暴でふてぶてしい「悪魔の化身」である。

また、日本におけるカラスのイメージといえば、道に転がる食べ物のカスや家庭ゴミを漁ったり、人間を小馬鹿にするような態度でアーアー鳴いたりと、好意的な印象を抱かない傾向にある。さらには、「悪魔や魔女の使い」として認知されていることから、どことなく不吉で汚らわしい存在とされているわけだ。

その原因の一つに、カラスが「雑食」であることが挙げられる。家庭ごみを漁って食べ物を食い散らかす姿は、その他の動物も同じような行動をとるため、カラスだけが特段責められる筋合いもない。しかし、本来の餌としては木の実のような植物から、動物の屍肉やゴキブリまで捕食するため、恐るべき消化吸収能力を持った鳥なのである。

 

時には人間に襲いかかるような素振りを見せるなど、体の大きさにかかわらず攻撃的な側面を見せるカラス。彼らの武器である硬くて丈夫なくちばしは、生身の人間では太刀打ちできない強力なアイテムだ。

それゆえに、素の人間対カラスの戦いならば、人間が負ける可能性もある。ましてや彼らは集団で行動しており、人間一人にカラスの大群が襲いかかってきた日には、勝負はあっさりとついてしまうかもしれない。

それほどまでにカラスは、たくましくもあり恐ろしくもある奇妙な存在なのだ。

 

・・とまぁこのようなイメージでカラスを捉えていたわたしだが、アメリカはラスベガスへやって来て、これまでの考えを一新させられた。

いま目の前にいる一羽のカラスは、それはそれは細くて小さくて、今にも野垂れ死にそうな気配すら感じる。カラス特有のふてぶてしさなど見る影もなく、それどころか謙虚かつ臆病そうな雰囲気で、わたしを見るなりチョンチョンと道の端っこへと逃げていった。

 

わたしは一瞬、目を疑った。わたしが知るカラスというのは、丸々と太っており図々しい鳥である。さらには、人間など恐れるどころか挑発するかのように、わざと接近してくるあざとさを兼ね備えている。

それがどうだ。目の前のカラスは、食べ物にありつけないからなのか、見るからに貧相で脆弱。

たしかに、ここラスベガスは暑すぎて虫も地上に顔を出さない。地上に出たら最後、干からびて死ぬ運命だからだ。そもそも、元はといえばここは砂漠なわけで、そこへ人工的に作られた摩天楼や緑のカーペットでは、十分な餌を確保するのが難しいのか。

 

そんな痩せ細った貧弱なカラスを見つめながら、わたしはつい食べ物を探した。しかしあいにく、クッキーのかけらすら見つけることはできず、ちっぽけな黒い鳥を見殺しにするしかなかった。

道路わきにたまったタバコの吸い殻や紙屑をくちばしてつつきながら、なにか胃袋へ入れられるものがないかを確認する哀れなカラス。40度を超える極度乾燥した環境ゆえに、地面は70度を超える高温に熱せられている。そんな灼熱地獄で、あるはずもない餌を求めて頼りなくさまようちっぽけな黒い鳥を、なんともいえない気持ちで見守るしかなかった。

 

・・と、そこへ一羽の鳩がやってきた。一瞬、それが鳩かどうかすら判断に迷うほど、わたしは自分の目を疑った。なぜなら、カラスよりも鳩のほうが圧倒的に肉付きが良く、ふてぶてしい態度だったからだ。

(こ、これが鳩?!)

しかし何度見直しても、それは鳩だった。丸々と太った体を重たそうに揺さぶりながら、ゆっくりと歩くその姿は悪者にしか見えない。

鳩といえば、カラスとは対照的に「平和の象徴」として扱われている。同じ鳥であるにもかかわらず、しかも生活環境も似たようなところで暮らしているにもかかわらず、カラスは忌み嫌われ鳩は穏やかに見守られるという、なんとも不思議な差別をされているわけだ。

 

ふてぶてしい鳩がちっぽけなカラスに近づくと、カラスはチョンチョンと逃げていった。残された鳩は、まるで舌打ちでもするかのような態度で、カラスと反対方向へノソノソと去って行った。

——なんなんだ、この真逆な存在感は。

ややもすると、鳩がカラスをいじめ倒しそうな勢いすらあったわけで、どちらが悪魔の使いか分からなくなるような、殺伐とした雰囲気を醸し出していた。

 

(あぁ、あのちっぽけなカラスよ。この過酷な環境下で、明日も無事に生き長らえることを祈る・・)

 

Illustrated by 希鳳

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