FAXというガラクタの唯一の功績

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「FAX(ファックス)」というやつに、殺意を抱くわたし。

なんだよファックスって。なんでいちいち金かけて、読みにくいものを自宅や会社へ送りつけてくるのか。

「ファックスしておいたので」

いやいや、外出してるし。

 

人間を場所に縛りつける悪しきシステム、ファックス。

ファックスが誕生した当時は、そりゃ大騒ぎだっただろう。あちらで書いた文字や絵が、瞬時にこちらへ送られてくるのだから。世紀の大事件だ。

だが今、この期に及んでファックスを使う意味はどこにあるのか。全てはメールやSNSで代用できるわけで、わざわざファックスを使わせる合理的な理由などあるはずもない。

 

しかし役所ではいまだにファックスを愛用する。電子申請をゴリ押しする割には、添付書類が漏れていると、

「ではファックスで送ってください」

となる。いやいや、ファックスって。固定電話すらないですよわたし。

 

「ファックスありません」

「え?ファックスないんですか?」

「え?あなた自宅にファックスあるんですか?」

「・・・ないですけど」

 

某役所の担当者との会話だ。その後、電子申請でメールアドレスの入力が必須である理由について、彼女と議論した。

なぜメアドが必須なのか。そしてなぜ、メールではなくファックスで不足書類を送らせようとするのか。

答えは闇の中。

 

ファックスにも種類があるので、コピー機と兼用しているファックスならば印字もある程度キレイに出る。だが感熱紙を用いたファックスなど、ちょっとした手品のように、月日が経つと文字が消えていく。

ーーこりゃ、証拠隠滅に持ってこいだな。

 

 

そんな「ファックス撲滅党」のわたしだが、ただ一つだけ、ファックスでよかったと思えるエピソードがある。

 

かれこれ10年は経つだろうか。わたしが社労士として開業して間もない頃、友人から「性別変更」の手続きについて相談を受けた。

 

性同一性障害であることに加え、諸々の要件をクリアした人のみ、性別の取扱いの変更の審判を申立てることができる。

諸々の要件とは、

・二人以上の医師により、性同一性障害であることが診断されていること

・20歳以上であること

・現に婚姻をしていないこと

・現に未成年の子がいないこと

・生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること

・他の性別の性器の部分に近似する外観を備えていること

これらすべてに該当する人が対象となる。

 

友人は元から美人なので、体だけを男から女に変える手術を行い、あとは戸籍上の性別を変えるのみだった。

 

戸籍謄本など普段から持ち歩くことはないが、健康保険証や運転免許証は常に携帯する。

そんな、普段から身近にあるカードに記された性別が、彼女の気持ちを曇らせていた。

そこで社労士であるわたしが、社会保険の「性別変更」の手続きを頼まれたのだ。

 

今でこそ何人もの性別変更手続きを行ったが、当時はそれが初めてのこと。必要書類や手続きについて役所へ何度も確認し、申請に備えた。

役所側もその当時はまだ、性別変更など「誤って記入」以外にあり得ない手続きだと考えていた。そのため必要書類について、担当者レベルであれもこれもと変わる始末。

 

しかし共通して必要だったのは「性別変更審判の審判書」だった。裁判所から送られてくる決定通知のようなもので、これをもって法律上、性別を変更することができる。

友人に必要書類を伝え、すべて揃ったら電子申請する旨を説明した。

 

そんなある日の昼下がり、めったに稼働しないファックスがジジジッと動きだした。開業当時は念のため、ファックスを設置していたのだ。

何ごとかと寄ってみると、合計4枚の書類が送られてくる。その一枚目の冒頭で、わたしは度肝を抜かれた。

「 主 文 」

ーーしゅ、主文って。あたし何か裁判沙汰になってたっけ?

 

「申立人の性別の取扱いを男から女に変更する」

 

そこから連なる細かな内容を、わたしはその場に正座をして読んだ。そこには友人の、これまでの「人生」が綴られていたのだ。

 

幼少期、友人は男の子なのにままごとが好きだったり、お化粧の真似事をしたりするため、それらの行為がいじめへとつながった。中学、高校と進むにつれ、いじめはエスカレートし、とうとう家出をするまでに。友人は山奥の旅館で仲居として働きながら、女になるための費用を貯めた。東京へ来てからも、ニューハーフの店でショーや接客をし、見た目は女なのに体は男という現実に苦しんだ。そして資金が貯まったある日、性別適合手術のために、ニューハーフの国・タイへ行く。およそ一か月後、無事帰国した友人は見た目も体も「女」になった。しかし戸籍上は「男」なので、完全に生まれ変わるための決断として、性別変更の審判が必要だった。

 

「自分に自信を持って、堂々と生きていくためにも、私を女にしてください。」

 

最後の一文を読みながら、わたしは泣いた。

そういえば彼女は「ひまわり」が好きだ。その理由は、太陽の光を浴びながら堂々と咲き誇る姿に惹かれるからだそう。

彼女自身も、そうなりたいのだと。

 

こんな壮絶な過去と新たな人生を決定づける「主文」は、メールや郵便ではなく、ファックスという不器用な装置からジジジとゆっくり出てくるほうが、味がある。

 

人生はクリック一つで割り切れるほど、軽くも簡単でもないのだから。

 

 

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