肋軟骨骨折から5週間、本日より練習に復帰した。
数日前から軽いスパーリングで様子をうかがってきたが、クラスに参加できるレベルまで回復したので、いよいよ、古巣であるトライフォース溜池山王のベーシッククラスに乗り込んだ。
といっても痛みはまだあるので、仰向けになると何もできない。だが今日のテクニックは「マウントポジションからのサブミッション」ということでホッとした。
ーー師匠がわたしに気を使ってくれたのかな。
ほんの僅かだが感謝の気持ちが過った瞬間、左からパンチが飛んできた。師匠だ。
「痛いの右でしょ?」
不敵な笑みを浮かべながら、左のあばらに鋭い一発を見舞われた。確かに折ったのは右だが、あなたのパンチは折れてなくても痛いんだよ!
そうそう、師匠は自分の弟子を忘れる癖があるのか、わたしが現れると「出稽古代」を請求してくる。一体どこの道場に、愛弟子の顔を忘れて金をせびる師匠がいるか。
そんなこんなで、また日常が戻ってきた。
*
テクニッククラスの後はスパーリングの時間。本調子ではないので相手を選びながら、無理のない範囲で汗をかかせてもらう。
何本目かのスパー中に、右足の薬指が相手の道着に引っかかった。一瞬、痛みを感じたが気にせず続行。だが頭の中では、薬指の爪がどうなっているのかを克明にイメージできた。
いま一瞬、爪が剥がれたよな。
そうだ。瞬間的に相手の道着が爪と肉の間に挟まり、瞬間的に爪が浮き、瞬間的に戻ったのだ。
かといってどうなるわけでもないので、とりあえずスパーを続ける。
これは柔術アルアルだと思うが、スパー中に爪が剝がれたとしても、みんな続行するだろう。とはいえ痛みを感じるので、爪を圧迫したいと考える。ではどうするのか?答えは簡単。
動きの中で爪を圧迫すればいい。
これを教えてくれたのは、紛れもなく師匠だ。
わたしの師匠は人間離れしたフィジカルとメンタルを持っている。あれは人間ではない。だが人間である点が一つだけある、膝の怪我だ。
長身、かつ、しなやかでパワフルなフィジカルが武器の師匠。先日、彼を知らない人が密かに「あれは全日(全日本プロレス)の選手だろう」と噂していたが、まさにプロレスラーばりのフォルム。
太ももなど女子のウエストほどある。そしてその脚力を駆使した得意技を重ねるうちに、膝への負担は免れなくなった。
そんな師匠は試合中、
「膝が外れると『ラッソーガード』の形に持っていき、自力で膝をはめて試合を続行させていた」
という。恐ろしい反面、なんとも彼らしいのだが。
ーーそうか、動きの中でどうにかすればいいのか!
師匠の逸話を思い出しながら、私は剥がれた薬指の爪を圧迫できるポジションを考えた。
マットをがっちり踏みつけられれば、腰を落としても倒されまい。それからしゃがめば手がつま先に届く。すると剥がれた爪を抑えられるーー。
そこでまずは「しゃがめる姿勢」にこだわった。安定した姿勢でしゃがめさえすれば、もうこっちのもの。とにかく爪を圧迫しよう。
しかし相手あってのスパーリング。そう簡単にはつま先に触れさせてくれない。ならば別の方法を考えよう。
次に思いついたのは「足の指を丸めて、相手の腕を蹴る」という方法。蹴る場所は腕にこだわらないが、できれば腕の方が安定して蹴り続けられるため、長時間爪を圧迫することが可能。
つまり、足の指を丸めてスパイダーガードをすればいいわけだ。
イメージができたら早速取りかかる。
ーーおぉ、これなら割とうまくいくぞ。
こうして無事に5分間のスパーリングを終え、かつ、剥がれた爪の圧迫にも成功した。爪の根本から血がにじみ出てきたが、パカパカと浮く感じはなく、いかに処置が早かったかを物語っている。
ありがとう、先生。
*
もしわたしが万全な状態の身体ならば、爪が剝がれたことはとても痛く辛いことだろう。
だが骨折明けのいま、怪我をしてもスパーリングができるありがたさ、というものをひしひしと感じている。
どこかが痛くても動き続けられる幸せは、スパーリングなどできないほどの怪我をした人にしか分からない。むしろ、爪が剝がれて気持ちよかったくらいだ。
ーーあぁ、爪が剝がれるほど動けるのか。
痛みより幸せを感じたことで、生きている醍醐味を味わえた。
心も体も痛みは多く知っているほうがいい。
その分、感謝や幸せが増えるから。
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