「キセルってなんですか?」
平成後半生まれのティーンズにとって、この言葉の意味はまったく分からないのだ。
女子高生三人に「キセル」を知っているかどうか尋ねたところ、全員が何かを羽織るそぶりを見せながら、
「コレのことですか?」
と逆に質問返しをしてきた。つまり「着せる」という意味かと聞いてきたのだ。喫煙具の一つである「煙管(きせる)」も、無賃乗車の愛称である「キセル」も、いずれも縁のない世代である彼女らにとって、キセルなどという言葉は一生使うことがないのかもしれない。
交通機関を利用する際に必須の持ち物といえば、今や現金ではなく交通系ICカードだろう。なかでも圧倒的に有名なのは、JR東日本が発行するSuica(スイカ)だ。
Suicaがが初めて導入されたのは2001年11月のこと。そして2021年3月時点で8,589万枚を発行している。さらに2006年から始まったモバイルSuicaは、同年同月時点で1,410万枚が発行されている。しかも2016年10月にApple Payでの利用が開始されてからは、モバイルSuicaの利用者が急上昇しており、今後もさらなる増加が見込める(IT・Suica事業/JR東日本)。
つまり東京育ちの現役女子高生は、物心ついた頃から電車に乗る際はSuicaかPASMOを利用しているのだ。人によっては小学生の頃からPASMOの定期で通学していたとのこと。
これではさすがに「キセル」はできない。
キセルとは、乗車駅と降車駅でそれぞれ運賃を支払うが、途中区間の運賃は払わない不正乗車を意味する。主に通学定期などを使って降車駅を出るため、入場のみ最低料金の切符を買って入るケースが多い。
語源は、煙管(きせる)の形状に由来する。いわゆるパイプの一種であるキセルは、吸い口と火皿(刻みたばこを詰めて火を点ける部分)を含む「雁首」と呼ばれるキセルの頭部が金属でできており、両端が「金」という構造から、乗車時と降車時のみ金を払う不正乗車に掛けているのだ。
中には降車駅が無人であったり、改札を強引に突破したりすることで、初乗り運賃で逃げ切る輩もいる。このような無賃乗車を含めて「キセル乗車」と呼んでいる。
今でも田舎には駅員不在の無人駅が多数存在する。そのような駅は辺鄙な土地にあるので、夜になるとホームが真っ暗になり、線路伝いに脱走が可能だったりもするのだ。
運賃を全額払ったところでたかが数百円の違いだが、中高生にとってはその端金(はしたがね)でアイスを買う喜びは大きい。さらに思春期ゆえの反抗心や問題行動が後押しし、「ちょっと試してみようかな」という心理が働いてしまうのも分かる。
そんなワルい青春時代を経験できるのもあとわずか。いや、都心のティーンズたちはすでに経験できない世代なのだ。
「電車の乗り降りで、なにか悪さしたことある?」
まず間違いなく出てこないであろう悪事について、期待せずに尋ねる。
「中学生の時に、小学生の切符を買って電車乗ったことあります!」
おぉ!まさかの不正乗車を告白してくれた。今どきの小学生は見た目も大人びているので、小6と中1でほとんど差はない。
近所に住む欧米人の少女など、私服の時は驚くほどお姉さんぽかったのに、平日の夕方に不釣り合いなランドセルを背負って歩く姿を目撃した時は、二度見以上の衝撃を受けた。
そしてこの不正乗車も切符を買っているわけで、やはりICカードでの不正乗車はハードルが高いことがうかがえる。
キャッシュレスで安全・便利な交通系ICカード。普通に利用する分には何も困ることはないし、むしろ便利以外の何ものでもない。
だが乗降駅の利用日時、金額が記録されるだけでなく、モバイル版であれば氏名や生年月日、電話番号、端末識別番号までが事業者に把握されるわけで、サービスの向上と称してプライバシーデータが収集されているのだ。
不正はよくない。だが何もかもが筒抜けで管理される状況というのも、何となく居心地がわるい。人間たるもの、あそび(バッファ)が必要なのではないかと思うのである。
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