銀歯滅亡の夜  URABE/著

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事の発端は、イタリアンレストランでボンゴレ・ビアンコを食べたとき。

大ぶりなアサリとジューシーな貝の出汁(だし)で彩られたアルデンテを、アタシは一人楽しんでいた。

ーーバケット頼んで、アサリの出汁つけて食べよう。

あまりの美味しさに「一滴残さず飲み干してやる」と、新たにバケットを注文する。まもなく、オーブンで温めたホカホカのバケットが運ばれてきた。

 

ちなみにアタシは、貝類が特別好きなわけじゃない。むしろ牡蠣など苦手で口にしたことすらない。寿司屋へ行ってももっぱら「炙りサーモン」の一択なので、過去の男からは、

「(高級寿司屋へ)連れて行きがいのない女だ」

と嫌味を言われたほど。

 

それでもここのボンゴレは別格。ビアンコじゃなくても、ロッソもネロも引けを取らない美味さ。久々にありついた上等なアサリのパスタに、息つく暇もないほどアタシはがっついた。

と、その瞬間。

ガリッ。

脳天を撃ち抜かれたような激痛が走る。どうやらアサリに入ってた砂粒を噛んだらしい。砂というより、細かい小石くらいの大きさかもしれない。

あまりの痛さに顔が歪む。しかし同席者の手前、笑顔を崩さず食事を続けなければならない。

 

ところが、口から出血していないか不安になるほどの痛みだったにもかかわらず、激痛の波はものの5分で収まった。

 

 

数か月後。奥歯が痛むので歯医者を訪れた。過去の治療で銀のかぶせ物をした歯なので、また虫歯か・・とげんなりしていた。

ところがレントゲンを撮った歯科医は、目を丸くしながらこう告げた。

 

「奥歯が見事に折れてるよ。完全に歯根破折してる」

 

ーー奥歯が骨折?

あまりに聞きなれない言葉に、アタシは事態が飲み込めなかった。どうやら歯の表面ではなく、埋もれている根っこの部分がパッキリ割れているらしい。

 

このまま残しておいても骨折が治ることはない。抜歯という選択肢を考えたほうがいいかもしれないーー。

先生の言葉が静かに流れる。

 

ーー歯を抜いたら、二度と生えてこない。

歯が抜けるほど老いてるわけじゃないアタシは、自分の体の一部が取り除かれる現実を受け入れられなかった。

歯が抜けるって、老人じゃん。

 

先生が尋ねる。

「殴られたとか、何か強い衝撃を受けたの?」

「・・いえ。ボンゴレを食べてガリッとなりました」

あぁ、なるほど。と、わずかに憐れむ表情を見せながらも、先生はそれ以上の言葉を発しなかった。

 

結局、右上の奥歯を抜いた。そこにはデッカイ穴が空き、舌でなぞると両生類の口のような生々しい奇妙な感触がした。

昨日まであった日常が消える、ってこういうことなんだなーー。

やや感傷的になりながらも、もう戻らない歯に想いを馳せるのは止めにした。

 

あの日以来、アタシはボンゴレどころか貝類を口にしていない。

 

 

そんなある日、アタシは友達と「ポキ」を食べた。

ポキは、マグロやサーモンを細かく切ったものにアボカドやネギを和え、甘辛いタレを絡めたハワイの郷土料理。ご飯の上に乗せると「ポキ・ボウル」にもなる。

 

天気がいいのでテラス席を陣取り、久々のガールズトークに花を咲かせていると、

ゴキッ。

なんとも不気味な音がした。同時に右上の奥歯(正確には奥から2番目)に激痛が走った。

ーーまさか!

 

噛んだのはマグロなので決して硬くない。でももしかすると、魚の骨がくっ付いていたのかもしれないし、何か硬いものが紛れていたのかもしれない。

そして感じる痛みはアサリの時と同じ、鼻の奥から脳天を貫く痛み。

 

翌日、すぐさま歯医者へと向かった。そしてレントゲンを確認すると、

「うん。また折れてるね」

もはや、死刑宣告に近い響きに聴こえる。

アタシの奥歯がまた一つ、この世から姿を消すこととなった。

 

ーーこれで、右上の奥歯とその手前の歯が消えた。無駄に歯を2本も折ってしまった。

 

 

それからアタシは急激に痩せていった。これ以上歯がなくなることを恐れ、食べ物が喉を通らなくなったのだ。

さらに、右上の歯に負担をかけないよう、なるべく左側で噛むよう心がけた。その上で左側ばかりを使いすぎないよう、ゆっくりと咀嚼するクセもつけた。

少しでも長く、自分の歯で食べ物を噛みたいーー。

 

そんなある日。

今となっては貴重な、左上の奥歯の詰め物が取れた。これまでは銀のかぶせ物を使っていたけど、これを機にセラミックに変えようと思う。どうせなら丈夫で、見た目もキレイな歯にしておきたいから。

 

大型連休を挟んだため、実際に歯医者へ行ったのは、詰め物が取れてたら10日後のこと。

まずはレントゲンを撮り、奥歯の状態をチェック。そしてセラミックのかぶせ物を作るため、口腔内写真を撮影するという流れ。

 

診察台で上を向いて寝ているアタシの背後で、先生と歯科助手が険しい表情で議論を交わしている。

そんなに難しい治療なのかなーー。

 

しばらくして、アタシは椅子ごと起こされた。そして先生が神妙な面持ちでこう告げた。

 

「左上の奥歯も、折れてます」

 

 

(完)

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