天上天下唯我消音

Pocket

 

私は常識ある人間なので、集合住宅で他の住人に迷惑のかかるようなことはしない。

だからこそベランダで煙草を吸うマナー違反な居住者には、容赦なく最上階から罵声を浴びせるのだ。これもすべて、マンションの平和と秩序を保つため。

 

そんな常識人である私の部屋にはピアノが置いてある。ヤマハのアップライトピアノだ。アップライトというのは、でかい四角い箱の形をしたピアノで、壁にピタッと沿って置くことができるのがメリット。ただそれだけがメリット。

 

さらにこのマンションは「楽器可」ではなさそうだから、ピアノ購入時に「サイレンサー」を取り付けた。いわゆる消音ユニットだ。

電子ピアノではなくアコースティックピアノを弾いているのに無音、という状況に最初は驚いた。なぜなら電子ピアノでしか無音を達成することは不可能だと思っていたからだ。

それが今では、アコースティックピアノにサイレンサーを取り付けることで、まるで電子ピアノのようにヘッドフォンで聞きながら弾くことができるのだから、ショパンやモーツァルトもびっくりだろう。

 

というわけで、楽器不可のマンションであってもサイレンサーを搭載することでアコースティックピアノが弾けるのが、現代の素晴らしさ。こうして早朝でも夜中でも、近隣住民を気にすることなくピアノの練習ができる。

 

だがある時思った。

「ヘッドフォンの代わりにスピーカーにつなげば、スピーカーから音が出る。音量を絞れば外には聞こえまい」

その通りだ。なぜなら音はピアノ本体から出ているわけではなく、サイレンサーの基盤を介してアウトプットされるわけだから、ヘッドフォンだろうがスピーカーだろうが関係ない。

「いや、ピアノの音がしたら迷惑だ!」

そう考える頭の固い人間もいるだろう。ならばテレビはどうなる?オマエが毎日見ているテレビの音量、あれだって小さければ迷惑にはならないが、大音量にしていれば外まで聞こえるだろう?

ある程度の音量で弾く分には、スピーカーから出るピアノの音もテレビから聞こえるピアノの演奏も、なんならアンプやPCのスピーカーから流れるピアノだって同じことなのだ。

 

と、ここで問題が勃発。仮に居住者から、

「ピアノの音がする。楽器不可なのにおかしい」

とクレームが入った場合、私はとっさにこう答える。

「それはテレビです。ピアノのチャンネルをよく見ているので、その音でしょう」

なるほど、これは一理ある。テレビからピアノの音が流れているのを、窓が開いていたり玄関の隙間から音がもれたりで、聞こえてしまう可能性は十分ありえる。

 

だが私には「テレビなど持っていない!」と某NHKに主張してきた過去がある。さかのぼること学生時代。

ピンポーン

ガチャッ

「某NHKですが、加入をお願いします」

「うち、テレビありません」

「え、あの正面に見えるモニターはテレビじゃないんですか?」

「あれはテレビ風のオブジェです」

「・・・でも電源は入りますよね?」

「スイッチを押したことがないので、わかりません」

「じゃあ押してみてください。電源がつけば加入してください」

「わかりました。(フンッフンッ。テレビが動くほど強くしっかりと「主電源」と書いてある文字を押している)ダメですね、どれだけ押しても電源入りませんね」

「・・・・」

 

ここまで頑なにテレビの存在を否定した私が、都合よく「テレビの音でしょう」などと言えるはずがない。うちにテレビはないのだから。

となるとテレビ案は却下。まぁそこらへんは、適当にごまかせばい。それよりなにより音量を下げておけばいいだけの話だ。

 

ーー待てよ。どうせ音量を小さくするのなら、初めっからサイレンサーなどに頼らず小さな音で弾けばいいんじゃないか?

 

そうなのだ。サイレンサーを搭載しているということは、アコースティックピアノといえど電子ピアノと同じ。

つまり鍵盤はスイッチなのだ。スイッチが入れば音が出るし、スイッチを離せば音は消える。ランクの高いサイレンサーならば音の強弱も本物バリに再現してくれるが、そこをケチった私のサイレンサーは、強・中の2種類しか音量が変わらないのだ。

よって、どれだけ弱々しく弾いても元気いっぱいの音しか聞こえてこない。

 

ーーとりあえず、サイレンサーのスイッチを切ろう。

 

ものは試しだ。生音で静かに弾いてみよう。ちっちゃい音で弾く分には、居住者へ迷惑もかからないだろう。

常識あるわたしは窓をキッチリ閉め、部屋の通気口も塞ぎ、風呂場の24時間換気も止めて室内を密閉状態にした。そしてそっと、鍵盤を押す。

 

ポーン

 

おぉ、生ピアノの音がする!しかも小さな音!これならば普段スピーカーから聞こえる音量より小さいくらいだ。よし、これでいこう。

 

なんだ。サイレンサーなんて付けなければよかった。弱い音で練習すればいいだけのことだったんだーー。

 

そう思っていた矢先、楽器屋に勤める友人がこう教えてくれた。

「どっちにしろ、打鍵音(ピアノの鍵盤を押す音)がうるさいんだよね。なんかトントン金槌で叩く音がする、って思われてるよ」

たしかにサイレンサーをオンにしてピアノを弾くと、ピアノの音はしないがずっとカタカタカタカタいっている。それが床や壁を伝って下の部屋へ届く頃には、

「やべーな、上の住人。藁人形に釘打ってないか?」

となっているのだ。

 

それでもクレームが来ない理由はというと、やはりベランダ越しに喫煙者を怒鳴りつけた、アレが効いているのかもしれない。

 

都会の集合住宅で暮らす際は、近隣住民とトラブルを起こさないよう、細心の注意を払って生きる覚悟が必要だ。

 

 

サムネイル by 希鳳

 

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です