蜘蛛の使徒

Pocket

 

これはきっと、敵討ちだろうーー。

先日、私が足を3本もぎとった蜘蛛の子どもと思しき個体が、昨日、私の前腕に登場した。

 

思い返せばその数分前、首の後ろや耳のあたりがくすぐったいような、何か細くて他愛もないものが触れているような、そんな感覚があった。だが場所が場所だけにそれは「髪の毛だろう」と、当然のことのように流していた。

 

しかしあれは髪の毛なんかじゃない、あの蜘蛛がフラフラしていたのだ。想像するだけで鳥肌が立つ。間違えて服の中へ落ちようものなら、それこそ発狂しかねない事態に。

 

 

パソコンに向かう私は、視界の左下にササっと動く小さな物体を察知した。顔はそのままで目だけを左下へ向けると、なんとそこには灰色の小さな蜘蛛がいた。気が動転しそうになるのと同時に、先日の悪夢がよぎる。

ーーあいつだ!私が足を3本奪った、あの蜘蛛だ!

そう思うか思わないかのうちに、私の右手が無意識に蜘蛛を叩き飛ばした。あまりの速さに蜘蛛の行き先を見失う。大失態だ。

 

蜘蛛が飛んで行ったであろう辺りを血眼になって捜す。だがどこにも見当たらない。テーブルの上も、壁も、床も、周辺機器の陰やほこりの裏側までひっくり返して探した。しかしどこにもいないのだ。

前回、足を切り捨ててまで生き延びた蜘蛛。それがこの程度の衝撃で死ぬはずがない。むしろ死んでくれたらその辺に転がっているはずだ。それが見つからないということは、また逃がしたということか。

 

動悸がおさまらないが、仕事の途中だ。いずれ戦わなければならない時が来るはず、それまでは仕事に戻ろうーー。

努めて冷静さを取り戻し、私は再びパソコンへと向かった。しかしどうしても蜘蛛が気になり集中できない。視界全体に意識を散らして、少しでも動くものがあれば瞬時ににらみつける。

 

そんなことを繰り返すうちに、左のふくらはぎがかゆくなりポリポリ掻いた。

(ん?なぜふくらはぎがかゆいんだ)

嫌な予感とともに足元を見る。すると・・・

 

つま先から10センチほど離れたところに、あの蜘蛛が座っているではないか!!

 

とうとう現れたか。今こそ戦いの時だ!

私は早速、武器であるコロコロを取ろうと椅子から離れようとした瞬間、蜘蛛が跳んだ。

 

ピンッ

 

カエルが跳ぶのとはわけが違う。もっとなんというか軽い。軽いというか質量のないエアリーな、はかないちっぽけなホコリの親戚がフッと飛び上がる感じ。

しかしその空虚さとは別に、わりと距離を稼ぐことも知った。本体は大したことないくせに、跳躍力がすごいのだ。もしかすると糸を張っていて、その糸を伝って飛んだのかもしれない。やけに高く跳んだし、その一歩でかなり私へ近づいたわけで。

 

しかし今は悠長に構える暇などない。一瞬にして大きく一歩跳べるということは、一瞬でどこかへ隠れてしまうことも可能。もし私がコロコロを取りに行く間に何歩か跳ばれたら厄介だ。

ーーやむなし、今この場で用意できる武器で戦うしかない。

 

蜘蛛から目を離さぬように、身近でペタッとくっ付きそうなものを探す。ガムテープもテーピングも見当たらない。ただ一つ、段ボールに貼ってある商品タグのようなシールが目に留まる。

(そっとはがせば使えるかもしれない)

蜘蛛をにらみつけながら、人差し指の爪でシールをカツカツとはがす。ダメだ、うまく剥がれない。段ボールも何年前のものかわからないし、シールも当然劣化してる。粘着力どころか段ボールの表面ごとはがれてしまった。

 

だがここでひるんだら負けだ。目の前にある武器で戦えないのならば、その先にあるのは「死」のみーー。

私は覚悟を決めて残りのシールをはがす。そして古びたシールをちりとりのようにして、蜘蛛の尻をたたいた。驚いたのは蜘蛛のほう。急に背後から汚いシールで押されるわけで、わけもわからずピンピン跳ぶしかない。

 

少しずつだがリビングの中央へと誘導。その頃には蜘蛛への恐怖心も薄れ、敵をしっかりと見つめることができた。そこで気づいたのだが、この蜘蛛、足が5本どころかやたらたくさん生えている気がする

立ち止まると反撃される可能性があるので、あいかわらずシールのちりとりであおりながらだが、足が5本しかなければなんとなく「少ない」と感じるはず。それどころか足が10本くらい生えている気がする。もしや、再生したとか・・・?

いやまさかそんなはずはない。よく見ると、前回の蜘蛛よりも一回り小さい気もする。私に追い立てられて転がるように移動しているせいもあるが、それでもなんとなく、前回の蜘蛛とは違う気がする。

 

ーーあいつの子どもか。

 

そう気づいた瞬間、私はコロコロへと伸ばしかけた手を引っ込めた。そして行き先を玄関へと方向転換した。

なにも子どもの蜘蛛を殺すことはない。この家から出て行ってくれればいいだけなのだから。広い世界へ消えてくれ。それだけでいいんだ。

 

玄関のドアを開けると、風圧で子蜘蛛が跳ね返された。仕方なく私が、外へ向かってフーーッと思いきり吹き飛ばしてやった。

よし、外へ出た。

ヨタヨタと歩き出す蜘蛛。親の仇はとれなかったかもしれないが、そんなことは忘れて自分のために生きろ。お前の将来は明るいはずだから。

 

 

なんとなくいいことをしたような、ほっこりした気分でパソコンの前へと戻る。すると、なんと目の前のブラインドにさっきのヤツよりもさらに小さくて半透明な蜘蛛が、ピトッとくっついているのを発見。

言うまでもないがすぐさまコロコロを手に取り、半透明を始末してやった。

 

 

サムネイル by 鳳希(おおとりのぞみ)

 

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です