世の中に「上級国民」が存在するように、実家が裕福で育ちのいい「お嬢さま」というのも確実に存在する。
しかも不思議なことに、漫画に出てくるようなフリフリのお嬢様などはいないのが現実。
たとえば、身につける衣服はカジュアルなファストファッションのため、普段は庶民に紛れ込んでいる。
だが、凛とした佇まいに溢れ出る上品なオーラのせいで、黙っていても「いいとこの子」であることがバレるのである。
お嬢さま、というと単なる金持ちの家に生まれた女子のイメージだが、わたしの中ではそこに限定することはできない。
やはり、立ち振る舞いや他人への配慮、そして言葉の端々に現れる洗練された気品のようなものを兼ね備えてこそ、初めて「お嬢さま」の称号を与えられるのだから。
そして彼女たちは、わたしのような意地汚い下品な貧民には到底ありえない、とある慣習をこなしていたのだ。
それは「お見合い」という儀式である。
お見合いというのは、親や親戚が選んだ相手と面談し、双方の親が了承したうえで交際を開始し、ある一定期間を経て結婚という契約を締結する、アレだ。
見合い相手の条件は、極論をいうと「家柄」一択。付け加えるならば、そこに学歴と職業がプラスされるくらい。
そのため、相手の容姿や年齢は関係ない。あくまで親同士が納得できる相手と面談し、婚姻へと進むプロセスだからだ。
「最初のお見合いは、私が学生の時だったの。相手は、父の病院に勤務する30代の医者。でも当時の私からしたら、30歳はオジサンだったんだよね・・」
「アタシなんて、実家の病院を継がせるためのお見合いだと思ったら、相手は医者じゃなかったんだよ。はぁ?って感じだよ!」
彼女らの家は医者の家系。まるでドラマのような見合い話の展開に、目を輝かせながら聞きほれるわたし。
(お見合いって、なんだかカッコいいな。おまけに貧乏人には縁のない儀式。くぅ〜、憧れる!!)
「最近もお見合いの話があったんだけど、会う前に断ったよ。だって、相手の写真が絶対に昔の写真なんだもん」
そう言いながら、実際に送られてきた画像のスクショを見せてくれた。
(な、なるほど。これは少なくとも10年以上前の顔だろう・・・)
相手の年齢からして、この肌艶や笑顔の初々しさはありえない。下手したら20年前かもしれない。そこまでして、このお見合いを成功させたかったのだろうか――。
「相手が歯医者だったこともある。うちは病院なのにね」
医者の家系にとって、医者と歯医者は天と地ほどの差があるらしい。
これは、医者の家系に身を置かなければわからない感覚だろう。現実的な話として、儲かるのは圧倒的に歯医者。だが、カネには代えられないプライドが、医者の家系にはあるのだ。
わたしの勝手なイメージだが、歯医者という職業は美容師や溶接工と似ている。
歯という限定的な分野のスペシャリストであり、いかに最小限の負担で治療を終えるか、いかに美しい歯列を再現するかが腕の見せ所。
わたしが信頼を置く歯科医師は、迅速丁寧かつ手先の器用さが光る治療をする。まさに、歯のスペシャリストなのだ。
それに比べて医師という職業は、開業時の標榜科名は限定的だが、大学や研修医時代に全身にかかる診療科を学ぶわけで、ジェネラリストでありスペシャリストである。
看護師や薬剤師も同じだが、全身を学んだうえでの選択となる点が、歯科医との違いだろう。
そんなこんなで、お嬢さまたちの見合い話は続く。
「結局、ウチの親の中での格付けで決まるんだよね。嫌な言い方だけど、ウチと釣り合う家柄かどうかがすべて」
あぁ、わたしは女でよかった。もしも彼女たちの見合い相手として白羽の矢が立ったならば、お母さまの厳しい尋問により、開始5分で終了となったであろう。
いや、そもそもその前に、見合い相手の候補として名前が挙がるはずもない。そんな要素は微塵もないのだから。
*
お嬢さまたちの儀式・お見合いにまつわる話を聞いたわたしは、凡人でよかったとつくづく実感した。
自由な恋愛なんぞよりも、家柄を守るという「使命」を課せられるのが、お嬢さまの存在意義である。
しかし、その悲しくも辛い運命こそが、脈々と受け継がれる家の血筋を守り抜くこととなるのだ。
それにしても、おかしいな。貧乏な凡人であるにもかかわらず、なぜわたしには結婚相手が現れないのだろうか――。
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