我が生涯に一口の悔い無し

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友人宅でイチゴを食べた。さすがに今朝収穫しただけのことはある。みずみずしい茎とふさふさの葉が生い茂り、見るからに健全であることが伝わってくる。そして葉をもぎとったイチゴの根もとは、まばゆいばかりの白さを放ち、見とれてしまうほどに美しい。

最後に、深みのある魅惑的な赤で染まった「あまりん」を、ポイッと口の中へと放り込む。

(んーー、美味い!!)

当たり前だが、獲れたてのイチゴは新鮮さが半端じゃない。そもそも果肉のほとんどは水分でできているが、中でもとくにピチピチでフレッシュな果汁が詰まっているわけで。

あぁ、さすがは果物の頂点の一端を担うだけのことはある――。

 

「ほんとだ、手が黄色い!」

友人が唐突に叫んだ。そう、わたしの手のひらや足の裏、そして顔の色が異常に黄色いのだ。言わずもがな、黄色人種であることに加え、デコポンや文旦といった柑橘類の食べ過ぎによる柑皮症の影響である。

照明の色や明るさにもよるが、一見、そこまで黄色く見えないときもある。だが他人と手の色を比べたり、裸足で正座をしたりすると、黄色人種であることを差し引いたとしても、明らかに黄色いことがバレる。

とはいえ黄色は、金運が上がる色でありビタミンカラーの代表色でもあるわけで、決してネガティブな要素はない。むしろ、誇るべき体色変化といっても過言ではないだろう。

 

そんなことを思いながら、わたしはあっという間に自分のイチゴを食べ終えた。すると、それを見ていた友人が彼女のイチゴを分けてくれたのだ。持つべき友は食べ物を与えてくれる人物――。

そして瞬く間に、分けてもらったイチゴも胃袋へと流し込んだわたしを見て、彼女はこうつぶやいた。

「食べるの早いねぇ」

そのとき、わたしは思わずハッとした。そうか、イチゴを一口で飲み込んでしまうから、あっという間に食べ終わってしまうのだ。ということは、ミカンにも同じことがいえるのではなかろうか。

 

自分にとって自分の行動は「普通」であるため、他人がどのようにミカンを食べているのかは知らない。だがわたしは、たとえばデコポンならば、どんなに多くても4口で食べきってしまう。

調子がよければ、半分に割ったデコポンをそのまま口へ押し込んで、手で口を押さえながらゆっくりと咀嚼したりもする。まれに、口の端っこから果汁がピュッと飛び出て服や床を汚すこともあるが、そうならないようにしっかりと口全体を手で覆ってからモグモグするように気を付けている。

 

この話を聞いた友人は、ひどく驚いた。

「デコポンって、一房ずつ食べるものじゃないの?!」

むしろその発想に驚いた。デコポンは、半分もしくは四分の一ずつ食べるものじゃないのか?!

これが文旦ならば話は別だ。わたしだって文旦ほどの大きさの柑橘類ならば、一房ずつ皮を剥いで果肉を味わう。だがこれは、文旦の一房が巨大であるだけでなく、それ以上に内皮がタフで苦味もあるため、そこから果肉を取り出す必要があるからだ。

ちょっと違うかもしれないが、トウモロコシを食べるときに一粒ずつ食べることはしないだろう。口を大きくあけて、ガブっとかぶりつくのが王道。つまりわたしの中でのデコポンは、これとまったく同じ考えなのだ。

 

こんな話を聞かされて、ますます驚く友人を尻目に、わたしはとある事実に気が付いた。

――そうか。デコポンを2口乃至4口で食べるから、すぐに終わってしまうわけだ。そして次から次へとデコポンに手を出した結果、一気に20個も食べてしまうのか。

仮に10粒入っていたとすると、一般人がデコポンを一個食べるのに、口の中へ10回放り込む作業が発生する。ところがわたしは、3~4回放り込むだけで一個を食べ終えてしまう。

一般人のタイムロスについては置いておいて、瞬殺で消えて行くデコポンの謎は、わたしの一口のデカさにあったのだ!

 

だからといって、今後デコポンを一袋ずつ食べるのかと聞かれれば、答えは「ノー」だ。口いっぱいに詰め込んだデコポンを、手で押さえながらモグモグするからこそ、「食ったぁ~!」という満足感が得られるのである。

わたしは、いつ死んでも悔いのない人生を送ると決めている。もしも、デコポンを丸ごと一個食べ終わる前に大地震に襲われたとしたら、残りのデコポンを食べることなく避難することになるわけで――。

 

・・想像しただけで、強烈な後悔が湧き上がってくるじゃないか。

 

Illustrated by 希鳳

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