子どもは未来の国力を支える大切な存在であり、人類の宝である。よって、子どもの夢はなるべく叶えてあげたいと思うのが、大人であるわたしの考えなのだ。
当たり前だが、まだ無知である子どもは対象物の状態が理解できないことが多い。思うように事が進まないと泣きわめくのは、そのためだ。
よって、甘やかすわけではないが、手を貸すことで子どもの目的が達成されるのならばお安い御用。その分「将来は頼んだぞ!」と念じながらサポートしてやるわけだ。
*
「こんにちは、こんにちは」
さっきからずっと、上を向いて挨拶をしている子どもがいる。ふと見ると、両手でビデオカメラを抱えつつ、天井を仰ぎながら必死に挨拶しているではないか。
その視線の先には、全身が緑色でおでこの黄色い鳥がいる。そう、インコだ。正直、インコかオウムか分からなかったが、スタッフのお姉さんいわく「頭に冠羽があるのがオウムで、それがないのがインコ」とのこと。よって、こいつはインコらしい。
わたしの中でのインコの勝手なイメージは、どちらかというと小さい。だがこのインコはデカい。そして周囲の人間から「止まれ!止まれ!」と叫ばれていたので、じっとしていてほしいのかと思っていたら、よくよく聞くとそれは「止まれ」ではなく「ホマレ」だった。言うまでもなく、インコの名前がホマレだったのだ。
そういえばホマレは、さっき歌を歌っていた。
「ぽっぽっぽ~、鳩ぽっぽ~」
スタッフたちが声を張り上げて歌う。ホマレの気分が乗れば、合の手を入れるかのように「ハトポッポ~」と答えてくれるが、そうでなければ無視という辛い状態。
それでも来店客のために、スタッフが必死に歌わせようとする姿は涙ぐましい。それに対するホマレは、足を使って握りしめたエサを地面にぶちまけるという、反抗的な態度で応戦している。
・・そして少年は、そんな自己チューなホマレに向かって色々と話しかけていた。たまに歌ったり挨拶をしたりするインコが珍しいのか、小さな手でカメラを構えつつ、今か今かと言葉を発する瞬間を待っているのだ。
しかし動物とは薄情なもので、子どもだろうが美女だろうが、気分が乗らなければ歌うどころか挨拶すらしない。まぁそれこそが野生ならではであり、人間の思うがままになっては元も子もないのだが。
首が痛くなりそうなほど、真上を見ながらしゃべりかける少年。もういい加減、諦めたらどうだろうか。そもそも鳥と人間が意思の疎通を図ることなど無理なわけで、「この世は、キミの思い通りにならないことばかりなんだよ」と、教えてあげることこそが教育なのではないか。
それでも懲りずに、少年はインコに言葉を発せさせようと粘っている。
「おはよう、おはよう」
「こんにちは、こんにちは」
「ばいばい、ばいばい」
必ず2度繰り返しながら、言葉を変えつつ話しかける。しかしホマレは、そんな少年を嘲笑うかのごとくガン無視をきめこんでいる。
これがカピバラならば、エサをチラつかせればノッソノッソと寄って来るわけで、鳴かせることは難しいがある程度思い通りになる。しかしインコは、エサに釣られることもなければ、相手によって態度を変えることもない。
人間界に置き換えてみると、ホマレは出世できない典型だろう。賄賂になびかない、忖度もできない。組織においてコントロールしにくい、面倒なオトナである。
――その瞬間、
「コンニチワ」
突然、ホマレが挨拶を返したのだ。少年は大喜びで「こんにちは!」と返事をする。さらに続けて「おはよう」と話しかけた彼に、ホマレは「オハヨウ」と返したのだ。
こんな奇跡的なやり取りが始まるだなんて、とてもじゃないが信じられない。
――いや、そんな奇跡が起きるはずはない。この声はホマレではない、わたしだ。さっきからずっと、ホマレの声真似をしていたわたしは、もはや本物よりも本物らしく挨拶をすることができるようになったのだ。
少年は目を輝かせながら、ビデをカメラでホマレを撮影している。高所にとまっているホマレの口など、どうせよく見えない。しかも、柱の裏で座っている客の一人が、ホマレの真似をしてインコの声で挨拶をしているなど、誰が想像するだろうか。
次々と話しかける少年のセリフを、まさにオウム返しで答えるわたし。この場合、インコ返しだろうか。
しばらくすると、「少年とインコの奇跡の会話」を目の当たりにした女性二人組がやって来た。そして、少年に混じってホマレに話しかけ始めたのだ。
(こ、これはさすがに返せない。申し訳ないが、キミたちはオトナだから我慢してくれ・・・)
*
こうしてわたしは、未来を担う子供の夢を守ってやった。
少年の問いかけに、ハッキリと正確に答える優秀なインコ、ホマレ。しかも、スタッフが教えていない言葉までちゃんと返すという、通常のインコでは不可能な荒業をやってのけたのだ。
少年よ、どうかこの感動を忘れずに、立派な大人になってくれ。
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