彼氏も彼女も両方とも友人であるカップルがいる。そして各々からお互いについての恋愛相談を受けた。その時、男と女の恋愛観の決定的な違いを確信した。
長く生きていると恋愛相談を受ける回数も増える。というより女が複数人で集まれば、必ず一度は恋愛話が持ち上がる。そして女側の不平不満というものは、どの年代であってもおよそ同じである。
「わかるぅ、マジムカつくよね!」
このセリフで意気投合するのが常。だがわたしは、彼女らの不満に賛同できない。趣旨は理解できるが、その「答え」も分かっているわけで、あえてその方向へは進まないという意味で賛同できないのだ。
そもそも、答えが分からずに恋愛相談を持ちかけてくる女はいない。そう、誰もが「答え」を用意して相談に挑むのだ。ただ単に、自分の答えに対する後押しと再確認をしたいがために、他人であるわたしへ感情を言葉にして伝えてくるのだ。
それも踏まえて、わたしのように気が強くて頑固な人間に太鼓判を押されたら、自分の答えが確信に変わるということもあり、比較的多方面からの恋愛相談を受けてきた気がする。
そして女とは逆に、男の恋愛相談というのは真剣に困っている場合が多い。本気で答えがほしくて、恥を忍んでわたしに実情をぶちまけるのだ。
本来、男というのはプライドが高くて秘密主義的な生き物。それが自らの私生活、ましてやパートナーとの恋愛事情などを口にするのは、よほどの勇気と覚悟がいること。
そしてそのほとんどが、いわゆる「理不尽な仕打ち」にあっているがための悩みだから、本当にかわいそうなのだ。
「同期たちと飯に行ったんだけど、そこに女性もいたんだ。あえて言う必要もないと思ってたら、後からめちゃくちゃ怒られたんだよね」
なるほど、まぁよくある話だ。
「だからそれからは『誰と誰と誰と飲んできた』って、逐一報告するようにしたんだ。そしたら今度は『なんでわざわざ伝えるの?そんな話きかされて、アタシがどんな気持ちになるかわからない?』って怒られたんだ。俺はどうすればいいんだろう」
あぁ、これも女子アルアルだ。この悩みに対する適切な答えなどない。仮に事前に飲み会のメンバーを伝えたとしても、そこに女がいるとなれば不機嫌になるだろう。そうなれば当日までずっと微妙な空気が流れるわけで、だったら言わないほうがいいんじゃないか?と思えてくる。
さらに厄介なのは、飲み会当日に急きょ女が参加したりして、あえてそのことを伝えずにいたところ、SNSでたまたま画像を発見された時だ。
「なんで黙ってたの?!やましいことでもあるの?!」
これで数日は険悪なムード確定となる。――伝えたら伝えたで怒られる。伝えなければ伝えないで怒られる。
なぜ男は、女の望むように対応したにもかかわらず、いつまでも怒られなければならないのか。
ここまで読んだ男性諸兄は、きっと似たような経験がおありなのではなかろうか。オマエがそう言ったからそうしたのに、なぜそんな言い方をされなければならないんだ――。
この件に関して、繰り返しになるが答えなどない。むしろこんな理不尽な仕打ちを受けることなど、昭和時代の部活と恋愛以外にありえないだろう。理不尽であることは当事者も十分理解しているが、決して逃げることなどできないわけで。
だからこそ、振り返ったときに「良い思い出」となるのだ。
甲子園や国立競技場、花園ラグビー場、東京体育館を目指した運動部の高校時代、振り返れば先輩や顧問からの理不尽な指導や暴力に耐える3年間だった。だが今となればどうだ。コロナ騒動に翻弄される儚い人生に、一筋の光がさすかのような誇らしい思い出となっているだろう。
女の理不尽さもこれと同じだ。いまは辛くモヤモヤした気分の毎日かもしれない。だが数年経てば良い思い出に変わる。数十年経てば、もはや宝石のようにキラキラ輝く貴重な思い出となっているだろう。
理不尽な仕打ちは、いつしか幸せに変化する時がくるのだ。
サムネイル by 希鳳
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