Kentauros

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「あ、あのぁ・・・ファスナーが閉められません」

 

カーテンの奥から、わたしは済まなさそうに声をかけた。

なんせ、ピアノ発表会用のドレスを試着しに来たはいいが、一人でファスナーが閉められない・・という緊急事態に、店員の助けを求めなければならなかったからだ。

 

手足が短いだけでなく身体が固いことも影響して、脇腹のファスナーに手が届かないわたし。そもそも、ドレスもワンピースも所持していないため、こんな苦しい思いをして着用する衣服など、久しく記憶にないわけで——。

すぐさまカーテンが開き、店員の女性が駆け寄ってきた。そして「こういうファスナーって、閉めにくいですよね」と、慰めるように呟きながら、わたしの脇腹に手を伸ばした。

 

それにしても、なぜワンピースは背後にファスナーがついているのだろうか。

数年前に喪服を着る機会があり、その際に背中のファスナーを自力で閉めることができず、半分開いた状態で近所のカフェへ走り、そこで見ず知らずの客に声をかけてファスナーを上げてもらったことがある。

喪服に限らずワンピースのファスナーは、だいたい背中か脇腹についているわけで、常に誰かがそばにいる前提で作られている"不親切さ"に、独り身を代表して苦言を呈したい。

 

だがその後、デザインの一部に上手く隠れる感じでファスナーが組み込まれた喪服を発見し、今ではそれ一択となった。

固定観念というか「今までがこうだったから、これしかない!」という石頭は、いざという時に足元をすくわれる。世の中には様々な人間が存在するわけで、一般的ではないフォルムの者でも一人で着脱できるワンピースが、存在しないことのほうが異常なのだから。

 

そんなことを思い出しながら、わたしは脇のニオイを嗅ぐような姿勢で、彼女がファスナーを上げるところを見つめていた。しかし、いつまでたってもファスナーは動かない——。

(まさか、壊れていたのか・・・)

少なくとも、わたしは壊していない。そもそも一ミリも動かしていないのだから、壊すはずがない。

 

だが、このドレスを受け取ってからファスナーに触れたのはわたしだけ。その時点でファスナーが動かなかったことを、どうやって証明すればいいのだろうか。

下手するとこれは冤罪事件になるんじゃ・・・

 

試着しようと思った中の一つではあるが、少なくともこのドレスを選ぶ気はない。なんとなく、勧められるがままにとりあえず着てみよう・・と思っただけで。

よって、「ファスナーを壊したのだから、このドレスを借りてください!」などと言われたらどうしよう——。

戦々恐々としていたわたしに向かって、彼女はこう告げた。

 

「このドレスでは胸がきついですね・・お客様のお胸だと、ちょっと入らないですから、別なものを持ってまいります」

 

——わたしの胸がデカいだと?

そんな発言、生まれてこのかた聞いたことがない。胸がデカくて困ったこともないし、オトコどもからいやらしい目で見られたこともない。・・そんなわたしの、胸が大きいだと?

 

いや、そもそもファスナーの始点は腰辺りにある。そこから微動だにしない・・ということは、胸の大きさを気にする前に、腰あるいは腹の太さに問題があったのではなかろうか。

そういえば、ファスナーの上部にホックが付いていて、店員はそれを引っ掛けようとドレスの前後をギュウギュウと引っ張っていた。だが結局、ホックは留めていない・・違う、ホックが届かなかったのだ!!!

 

よくよく考えてみたら、わたしのフォルムはドラム缶のような形をしている。つまりお胸がデカいのではなく、お腹もお尻も全てデカいのだ。

それはすなわち、一般的な女性の身体に沿ったドレスに、ドラム缶が入るはずもないことを示している。そりゃ、ファスナーだって上がりっこない。

 

呆然としてるわたしに、店員は新たなドレスを運んできた。どれも素敵なデザインだが、もう一つ、先ほどとは明らかに異なる部分があった。

(どれも上が開いている・・・)

そう、どのドレスもベアトップやワンショルダーで、胸口に派手な装飾やデザインが施されているのだ。つまり、胸囲にゆとりのあるドレスだった。

 

個人的にも、肩や腕が強調されるドレスは避けたかったので、細い肩紐のドレスなどはそもそも求めていない。よって、ワンショルダーやベアトップといった、肩や腕が全開となるデザインに狙いを定めており、運ばれてきた衣装が気に入らなかったわけではない。

だが明らかに、さっきのあのしなやかで女性らしいフォルムのデザインは、ファスナーが上がらないことから却下されたであろう匂いが、プンプン漂ってくるのだ。

 

(・・・いや、いいんだ。元からこういうデザイン狙いだったわけで、なにもショックではない)

 

こうして、無事にファスナーの上がるドレスを着用したわたしは、試着室から出ると大きな姿見に自分を映してみた。

左肩ワンショルダーの黒いドレスで、たっぷりのドレープがゴージャスな雰囲気を醸し出している。さぞかしハリウッドスターのような・・・

 

「ケ、ケンタウロス・・・???」

 

思わず声が漏れた。わたしが見たのは、わたしにそっくりなケンタウロスだった。

古代神話に登場する、逞しい上半身に矢筒を掛けた半人半馬の獣人、ケンタウロス。なぜかアレにしか見えないのである。

 

そんなわたしの呟きを聞いた女性は、思わず両手で顔を覆い、こみ上げる笑いを堪えていた。笑ってはいけない、決して笑っては・・・という強い意志が、震える肩から伝わってくる。

(やはりそう見えるのか・・・)

 

——だがそれでいい。なんせわたしは、ピアノ発表会は見た目で勝負する・・と決めているのだから。

 

 

かつての紅白歌合戦における小林幸子的な、今でいうところのMISIA的な立ち位置を目指すわたしは、演奏の実力はさておき、登場から喜ばれるパフォーマンスを心がけている。

そのため、衣装は非常に重要なポイントとなるのだ。

 

だからこそ、どうか本番を楽しみにしてもらいたい。登場シーンだけで、来場者を笑顔にしてみせる・・と約束しよう。

 

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