完璧なゴミ作リスト

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わたしの密かな趣味(?)というか、ある意味「確固たる信念」というか、とにかく絶対に譲れないこだわりがある。それは、家庭ごみをいかに完璧な状態で作れるか・・というこだわりだ。

我が家のゴミは、手前味噌だがいついかなる時も完璧である。おまけに、ゴミ袋を開封されたとしても、わたしという個人へたどり着く資料や情報を掘り出すことはできず、ただの”美しいゴミ”という現実にため息を漏らすことだろう。

 

そもそも、一週間風呂に入らなくても平気だったり、レジの最中に店員が落としたイチゴを拾ってそのまま食べたりと、どう考えても”きれい好き”とはいえないこのわたしが、なぜ家庭ゴミに限って神経質なまでに完璧を追求するのだろうか——それは、我がマンションの住人らの「民度の低さ」に辟易したからだ。

 

建物の一階にあるごみ置き場のドアを開けるたびに、ショックを通り越して殺意が湧く光景が飛び込んでくる——そんな、低俗な住人と劣悪な環境を象徴するかのような、スラム化した我がマンション。

たとえば、飲み終えたスタバやコンビニのコーヒー容器が転がっていたり、Amazonで購入したであろう商品の空箱が投げ捨ててあったり、段ボール箱が立方体のまま放置されていたり・・よくぞこんな恥ずかしい行為を堂々とできるもんだと、同じ区画に住む人間として怒りに顔が歪む日々を送ってきた。

このような”お粗末なありさま”に耐えられなくなったわたしは、管理会社へ「ごみ置き場の杜撰な状況」を通報したことがある。その結果、ちょっとした注意書きを張り出してくれたのだが、当然ながらその程度では敵も怯(ひる)まない。ならば、己の姿が映るモニターでも設置してもらえないか・・と、提案したいところだが、これ以上はクレーマーと捉えかねないので自粛することに。

 

そしてこの時、わたしは心に誓ったのだ。誰に見られても恥ずかしくない、美しくて完璧なゴミを作ってやる・・と。

 

——このような経緯を経て”完璧なゴミ作リスト”を自負するまでに至ったわけだが、そんなわたしのここ最近のこだわりは、生ごみの保管方法についてである。

冷蔵庫のない我が家(だが、ミニ冷蔵庫はある)には、その代わりといってはなんだが、立派な業務用冷凍庫が設置されているため、これまでは生ごみを洗剤で洗ってからビニール袋に入れて、ゴミの日まで冷凍保管していた。ところがあるとき、まるで干からびた魔女の指のように縮んだ哀れなニンジンを発見したことで、「生ごみを乾燥させたら、むしろ衛生的なんじゃないか?」と思い始めたのだ。

 

無論、肉や魚の残骸は干からびる前に腐敗して大変なことになりそうなので、これらは今まで通り冷凍庫で眠ってもらうが、果物の皮——スイカやパイナップル、メロン、バナナなどは、紙の上に並べておけば翌日にはそこそこ干からびてくれる。さらに二、三日放置しておけば、それはもう完璧な干物が出来上がるのだ。

しかも、この”干物作戦”で使用する紙は、勝手にポスティングされた不要なチラシなので、ゴミでゴミを作る・・という一石二鳥の完璧な作業工程でもある。今までは、ポスティングに対して殺意と憎悪の感情しか持ち合わせていなかったが、果物の皮で干物を作るようになってからは、ポスティング業者を労う気持ちまで芽生えた。それほどまでに、状況が変わるとヒトの気持ちもガラリと変わるのだ・・ということに、自分のことながら驚くのであった。

 

ちなみに、「干物になる過程」は非常に興味深いものがある。放っておいても刻々と変化する果物の皮の状態に、思わず目が釘付けとなるからだ。

そんな”状態変化の観察”も兼ねて、スイカとパイナップルとバナナの皮をテーブル一杯に広げている我が家。スイカとパイナップルは昨日から干しているので、もうかなり干物化が進んでおり、皮の断面は白っぽく変色し始めている。一方、バナナは今日から加わった新参者のため、断面が黒っぽく変色しているのと若干の収縮が見られる程度で、干物と呼ぶには程遠い新鮮さである。

 

今さらではあるが、干物化の最大のメリットは”体積が小さくなること”だ。水分が蒸発することで元のサイズの半分程度まで縮むため、衛生的である上にエコな処理方法といえる。

(明日になれば。全員がもっと縮んでいるはず。あぁ楽しみだな・・)

 

 

こんなことができるのは、どう考えてもわたしが寂しい一人暮らしだからである。

 

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