私は、師走の東京のアスファルトである。

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世間は今日から師走。

12月といえば雪の降る季節だが、近ごろは外国人や小太りの半袖姿を見かける。

地球温暖化というやつか。

 

あのぺしゃんこに干からびたミミズは、もはや跡形もなく消え去った。

 

幾度となくトラックや自転車に轢かれ、人間に踏まれ、チワワにおしっこをかけられ、この世に存在することなど許さんと言わんばかりにペラペラのぺったんこにされてしまった。

 

ぐちゅっとはみ出た内臓や汁は雨できれいに流され、中身のないヒモとなった抜け殻は面影すらなく、ここでミミズがぺしゃんこになったことなど誰も知らない。

 

死骸となったミミズの上をカサカサと通り過ぎたゴキブリも、夏場のような鋭さはみられない。

いきなり茂みから出てきては人間に踏まれそうになり、おかしな方向へ逃げたと思うとよくわからない距離でピタッと止まる。

そしてまた別の人間に踏まれそうになる。

こんなことを繰り返すわけだが、頭が悪かろうゴキブリの生命力は桁外れゆえ、踏まれてもなお生きるから恐ろしい。

 

とにかく毎日、いろいろな生き物が私の上を右往左往する。

 

そう、私は東京のアスファルトだ。

 

 

冬本番を迎えるにあたり、ミミズやゴキブリに代わって私の上をうろちょろするのは、鳩。

 

鳩は鳥のくせにあまり飛ばず、どちらかというと地面を歩き回ってはしょっちゅう何かを突っつく。

私の表面を硬いくちばしでコツコツやられると、痛くはないが不愉快ではある。

 

しょっちゅう下を向いてはエサをついばむ鳩。

だがよくよく観察してみると、エサをつついているだけでなく小石や砂までついばんでいる。

最初のうちは、頭の小さい馬鹿な鳥ゆえエサと小石の区別がつかず、誤って小石を口に入れてしまうのだろうと嘲笑していた。

 

だがそれは誤解だった。

 

鳩には歯がないし鳩に限らず鳥に歯はないわけで、口に入れたエサを丸のみするしかない。

そのエサを細かく砕いて消化する過程でついばんだ小石らが活躍する。

 

鳥というものは、あらかじめ体内に蓄えておいた小石や砂と飲み込んだエサを胃袋でかき回しすり潰し、微細にしてから消化する仕組みにできている。

 

人間が好んで食べる歯ごたえ抜群の筋肉こそが砂肝で、鳥が小石をためる場所である。

 

あぁ、鳥の頭は小さいゆえ馬鹿だなどと思い込んで申し訳なかった。

鳩は鳩なりに小さい頭を必死に使い生きていたというのに。

 

 

子どもが寒空の下で戯れる姿もオツなものだ。

日ごろからタイヤや靴で踏まれる私は、子どもが転んだときに感じる手やおしりの柔らかさに、荒んだ心が癒される。

 

だが見るに堪えないときもある。

 

あれは三日前、調子に乗って飲みすぎたのであろう中年が嘔吐した。

あいにくの、いや、恵みの雨に流され吐しゃ物は消え去ったが、その翌日に近所のチワワがおしっこを引っかけた。

そして昨日、小汚いホームレスが無意味にツバを吐いた。

 

澄みわたる空、真っ青な冬晴れの本日。

眩しく照りつける太陽がすべてを三割増しで美しく見せるため、汚物による不潔エリアは子どもたちでにぎわっている。

 

あぁ、そこは危険だからよそへ行っておくれ。

 

どんなに熱心に祈ろうが私の思いは伝わらない。

それどころか子どもの遊びは激しさを増し、とうとう恐れていた事態が起きた。

 

取っ組み合っていた子ども同士の足がもつれ、不潔エリアへ尻もちをついたのだ。

それどころか、くんずほぐれつしながら地面を転がっているではないか。

 

あぁ、そこは昨日まで不衛生で汚らわしい凄惨な事件現場だったというのに。

そんなことなどつゆ知らず、無邪気な笑顔でごろごろ転がる子どもは不知で愛おしい。

 

 

感傷に浸りながらその姿を見守る私は、なんともおぞましい気配を感じた。

恐る恐る見上げる先には一人の人間。

 

そうだ、私を見下ろす狂気に満ちた眼差しはかつて現れたあの人間だ

 

暇さえあれば冷嘲熱罵をくり返すこの人間ほど解せない生き物はいない。

 

あぁ、恐ろしい。

早くこの場から立ち去ってもらいたい。

 

酔っ払いの吐しゃ物やチワワのオシッコやホームレスのツバのほうが、まだマシだ。

 

 

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