「アタシ、妊娠したんだ」
突然の告白を受けて、更衣室に居合わせた女子たちは悲鳴に近い歓声を上げた。そして口々に「おめでとう」「ついに、よかったね」と、喜びを露わに駆け寄ってきた。わたしは無表情に「うん」と頷きながら、臨月に近い腹を彼女たちに差し出したその瞬間——全員の顔色が曇った。
「・・・これって、妊娠じゃないよね」
そう言いながらも、異様に突出したわたしの腹——正確には胃袋——を撫でたり突いたり、物珍しそうな表情で苦笑いしていた。実際に出産経験のある女性は「うん、たしかに臨月だ」と満足そうに目を細めていたが、仮にそうだとして、臨月でスパーリングをする愚かな母親もいないだろう。
*
この腹の出具合いは、おそらく今年一番ではなかろうか。夏にラスベガスで相当なフードファイトを繰り広げたが、年の瀬のギリギリで新記録を樹立したことは感慨深い。
いったい何をしたのかというと、インドカレーの食べ放題で大量のカレーとターメリックライス、ナン、キール(ミルク粥)を限界まで搔っ込んだのである。
午後3時過ぎに店を訪れたわたしは、入り口に書かれた「ランチビュッフェ15時まで」という文字を見て、食べ放題への期待はゼロの状態で席に着いた。だが、そんな哀れな輩の元へ水を運んできた店員はこう告げたのだ。
「あと少しですが、15時半までビュッフェをご利用いただけますよ」
——と。
目の色が変わり鼻息が荒くなったわたしは、即座に席を立つとカレーたちが待ち受けるテーブルへと突進した。さすがはインドカレー、小さな銀色の丸い容器が積み重ねてあり、そこへ各々の好みのカレーをよそう仕組みになっている。そして、大皿にターメリックライスと天然酵母のナンを積み上げて、最後にデザートのキール(みるく粥)をカレー容器4杯分注ぐと、すぐさま踵を返して席へと戻った。
この時点で午後3時15分、タイムアップまで残り15分しかない。しかも、友人いわく「時間になったら皿を回収される」とのこと。——こいつは、15分間のタイムアタックということか。
脳内でゴングが鳴ると同時に、わたしは一心不乱にキール4杯を胃袋へ流し込んだ——そう、「まずはデザートから」がわたし流。
キールをやっつけると、次は甘口の野菜カレーにスプーンを突っ込んだ。・・こいつはカレーというよりスープだ。ターメリックライスやナンをつけるまでもなく、スープとして味わうほうがこいつの良さを引き出せる・・と踏んだわたしは、こちらも一目散に片付けた。
残りのカレー三種類は、一つは甘口の野菜と果物とナッツが入ったカレーで、残りはいずれも辛口・・豆のカレーとキノコのカレーだった。野菜カレー同様に甘口はスープとして単独で摂取し、辛口の二種類はターメリックライスとナンとで辛さを中和しながら咀嚼を繰り返した——その結果、10分かからずに第一ラウンドを終了(かなり余裕)。
こうしてわたしは間髪入れずに第二ラウンドへと突入し、そのままなだれ込んだ第三ラウンドの後半あたりでチラッと時間を確認したところ・・もうすでに3時半は過ぎていた。
——いや、そんなことは分かっている。実のところ気付かないフリをしていただけだから。
「時間になったら店員が皿を回収する」
この呪いの言葉に支配されていたわたしは、店員が忙しそうに接客をする姿を尻目に、「いいぞいいぞ、もっと客よ来い!そっちに気をとられている間に、目一杯食い尽くしてやるんだ」と、己に活を入れていたからだ。
とはいえ、もうすでに10分以上オーバーしているが、こちらを気にする様子がまったく見られない。まさか、マジで忘れてるんじゃ——。
結局、その10分後に「そろそろ(ビュッフェ)終わりにしますね」と声をかけられたので、最後の一杯・・いや四杯のカレーを山盛りでよそうと、席へ戻りペースダウンしながらもラストスパートをしっかりと駆け抜けた。
こうして、ビュッフェのテーブルに置かれていたカレーとキールをほぼすべて片付けたわたしは、密かに宿るプライドのようなものを感じていた。それは、もはや"盗賊"に近い感覚で、目の前にあるものはすべて奪う——そんな職人気質で強欲なプライドが、今年一番の胃袋を・・とっくに"限界突破した胃袋"を作り上げたのである。
*
「ちょっと、それで練習は無理なんじゃない?」
相変わらず女子更衣室内は騒然としていた。無理もない、妊婦以外でこんなにも突出した腹を見る機会は、そうあるものではないからだ。
わたしは念のため、柔術クラスを担当するインストラクターに臨月の腹を見せながら、「胃袋の調子というか様子が、ちょっとおかしいんだけど・・・」と説明をしたところ、まるでドアをノックするかのように中指の第二関節でコンコンしながら、「まぁ今日のテクニックならば、どうにか大丈夫でしょう・・」と、呆れ顔で承諾してくれた。だが続けて、「もしも本当にヤバくなったら、すぐにトイレ行ってくださいよ」と、念を押されたのは言うまでもないが。
こうして無事に練習を終えたわたしは、なぜか練習前と変わらぬ出っ張りの腹をさすりながら帰宅の途に就いたのである。
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