アメリカにて、凹凸が消えた私のフォルム

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(わたしは何と戦わされているんだろう・・)

見事にせり出た腹部をさすりながら、わたしはふと考えた。現在ラスベガスにて穏やかな日々を過ごすわたしは、毎日、ネコを愛でながら手料理を振る舞われる・・という、まるで王族のような生活を送っている。

そして一番の悩み・・いや、喜びは、友人の手料理とわたしの味覚との相性がいいことだ。料理の美味さというのはいくつかの種類があり、素材そのものが美味い場合と調理技術や方法が卓越している場合、そして単純に味の相性が合う場合の三つに分けられる。

今回は三つ目の理由にあたると思われるが、とにかく何を出されても美味いのだからどうしようもない。もちろん、彼女も知人からレシピやアドバイスをもらい、下ごしらえなどに工夫を凝らしているわけで、それだけでもワンランク上の料理になっていることは間違いない。要するに、ゴージャスではないにせよシンプルで味の立つ調理なのだと、調理ド素人の料理研究家(わたし)は評価しているわけだ。

 

そんな友人は、わたしのためにボリューム満点の料理を提供してくれるのだが、そうなると気になるのはウエスト周りのサイズ感である。日本の友人から「デニム履けるの?」と聞かれたが、あいにくそういった窮屈なズボンは持参しておらず、ゴムで伸びる緩やかなパンツにビーチサンダル、トップスはブラカップ付きのタンクトップ・・という、日本で近所をぶらつく際の格好なわけで、いくらでも腹は膨らませることができるのだ。

そして、座っていれば重力により胃袋や脂肪が下がるため、ウエスト周りに肉が重なるのは普通のことだが、寝ていても腹部の頂点が高く持ち上がっているということは、胃袋を含むすべての袋や管がパンパンに詰まっている証拠である。横を向こうが上を向こうが、わたしの腹周りは形を変えることなく・・そう、まるでトドかマグロのように丸々と立派な太さを維持しているのであった。

 

「マタニティフォトみたい・・・」

寝転びながら撮影した腹部の写真を投稿したところ、それを見た友人がそうコメントしてきた。たしかに、妊婦のような張りのある隆起した腹である。

とはいえ時間は刻々と進むわけで、友人は次から次へと手料理を与えてくれるのだ。黒米にタコスの材料とチーズをたっぷりのせたタコライス、日本の食材を売っている店で買ってきた蕎麦と麺つゆに、平らに伸ばしたチキンをドーンとのせたチキン唐揚げ蕎麦、具材がホロホロに溶けるほど煮込んだスープカレー、卵4個にパプリカやマッシュルーム、ひき肉がたっぷり入ったビッグオムレツ・・などなど、前の食事の残りを上手に使いながらも、目新しい素敵な料理が続々と登場するわけで。

 

そして食事の後、わたしは仕事を済ませようとパソコンを開いていると、どこからともなくいい匂いが漂ってくるではないか。あいにく今は満腹だが、それでもいい匂いというやつは残酷にも食欲を刺激するから不思議なものだ。

「バターたっぷりのクッキーを焼いてるよ」

オーマイガッ!!わたしの大好物であるバターたっぷりのクッキーを、なぜいま焼いているのだ!?おまけに、アジア旅行の際に購入したというカモミールティーを、透明の洒落たポットで淹れてくれるわけで、これはまさに王室のティータイムではないか!

 

——なるほど。もしかすると貴族というのは、腹が減ったから飯を食うとか紅茶を飲むとか、そういう動物的なスケジュールでイベントを遂行しているわけではないのかもしれない。

腹がいっぱいだろうがなんだろうが、朝食の時間は朝食を食べ、それが終わったら甘いものと紅茶やコーヒーでお口直しをし、昼になればランチをとり、昼下がりには再びクッキーやケーキと紅茶またはコーヒーで談笑の時間をこなし、そして夜になればディナーの席に着く・・という、いわゆる"儀式"なのではなかろうか。

だとすればわたしも、彼ら彼女らに従って貴族らしい振る舞いをするべきである。要するに、これはノルマでありマナーであり、ある種の戦いなのだ——。

 

 

そう気づいたわたしは、「そろそろお腹すいたでしょ?」と氷の微笑で尋ねる友人に対して、「うん!」と力強く答えるのであった。まだ底が見えぬ、1.42リットルのバケツのようなバニラアイスを抱きかかえながら——。

 

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