UFOと遭遇できぬまま、ラスベガスでの生活もあと少しとなってしまったわたし。昨夜など暗視スコープで夜空を偵察したが、網膜に飛び込んでくるのは幾千もの星粒ばかりで、それらがおかしな動きをしたり突如消えたりすることはなかった。
(あまり欲張りすぎるのもよくないんだろうな・・)
わたしの強い想いが宇通人に伝わってしまったのかもしれない。そんな風に「今か今か」と待ち構えていたら、あちらからしてもちょっと登場しにくいのだろう。
そんなわたしの心強い相棒は、ネコである。友人宅にはネコが3匹いるのだが、そのうちの一匹は人懐っこくて常にわたしの傍でゴロゴロ言っているのだ。
ちなみに、ネコというのは宇宙から来た説があるほど、不思議な生態なのだそう。たとえば、気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らすアレ、じつは正確な仕組みは未だに解明されていない。また、ネコの骨の数は240本あり、およそ200本の人間よりも多くの骨で組成されていることから、全身に柔軟性がありバネの効く体となっている。
それだけではない、古代エジプトには「バステト」というネコの神がおり、多くの信仰を集めていた。日本でも、猫神様として有名な「日本一社 お松大権現」や「招き猫」など、ネコは我々日本人にとっても身近で縁起のいい動物なのである。
これらのことからも、UFOとの遭遇を熱望するわたしの相棒として、ルーツが神や宇宙人であるネコは相性がいいはず——。そんなことを考えながら、わたしに懐いてくるネコの頭をコチョコチョと撫でてやったところ、「ンニャァァー!」と言いながら左手でネコパンチならぬ"ネコやめろ"をしてきたのだ。
(なんだなんだ?こうやれば喜ぶんじゃないのか?!)
まさかの仕打ちに驚くわたしに向かって、「そこじゃねぇんだよ、こっち撫でろや!」と言わんばかりに、ドテッと横になると腹を見せてきたネコ。——アレ、もしかしてわたしのほうが下に見られてる・・・?
よくよく観察してみると、わたしの足にすり寄ったり尻尾を当てたりしているが、それはどうやらマーキングの模様。さらに、「ドアを開けろ」「食べものをよこせ」「とりあえずなんかしろ」というように、ネコの意思表示はどれもわたしに対する命令である気がする。
現に、家主である友人夫婦に対しては、明らかに服従を誓うかのような甘え方をみせているわけで、よそ者であるわたしは彼(ネコ)にとって「ちょうどいい下っ端が現れた」くらいの感じなのかもしれない。
それでも、およそ対等に見てくれているのならば御の字である。ニンゲンが神になることはないがネコならばあり得るわけで、そのような上位互換の存在がわたしに目を掛けてくれるのは、身に余る光栄というやつだからだ。
というわけで、凡人と神に近い存在とがタッグを組んで、深夜は空を見上げてUFOを探し、明け方は朝日を浴びて心をキレイにし、朝食の後はソファでダラダラし、エアコンで冷えれば外へ出て干からび、昼寝をしたりおやつを食べたり好きなことをやりながら、また暗くなったら外へ出てUFOを探す・・という、なんとも自由で平和な毎日を過ごすのであった。
これまでわたしは断然「犬派」だったため、ネコはあまり好きではなかった。だが、寝食を共にしてみると案外悪いものではない。そもそもネコは「ニオイがしない」というところが評価できる。いわゆる動物臭的なニオイが一切しないので、寝返りをうつとそこにネコがいる・・なんて距離にいても、まったく不快にならないのだ。
そして気ままにフラフラ彷徨ったかと思えば、いつの間にか足元で寝ているなど、ニンゲンの手に負えない自由奔放さは正にネコの特性といえる。おまけに、こちらが可愛がってやろうと思っても、「いや、結構です」と言わんばかりにフイッとそっぽを向くしぐさなども、ネコらしくてなんとなく許せるわけで。
そんな凸凹コンビの我々だが、残念ながら解散の日が近い。だからこそ、何か一つだけでも——できれば、UFOを一緒に目撃するなど——達成しておきたいのだ。だからこそ・・おい、バステト神の末裔よ。もうそろそろ見せてくれてもいいんじゃないか?そなたの持つチカラとやらを。
(・・よし、今夜も暗視スコープで夜空を監視するぞ)
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