南部鉄器

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滅多に外出することのないわたしは、外へ出ることが億劫になっている。

いや、正確には風呂に入るのが億劫だから、結果として外出できないのかもしれない。

 

普段から風呂に入らず不潔であることを自慢しているわたしだが、人前へ出るとなればやはり風呂へ入らずにはいられない。

そうだ、人と会う予定さえあれば清潔を保てるのだ。

 

とは言え、わざわざ人と会いたいとも思わないので、やはり不潔期間が続き、世捨て人となるのは仕方のないこと。

 

そんな諦めモードのわたしへ、一通のLINEが。

「欲しかったら取りに来て」

金持ちの友人からだ。どうやらクライアントに貢がれた高級クッキーを、わたしにくれるらしい。

 

そんな粉物で釣られるか、と内心思ったが、もしかすると非常に美味しいクッキーかもしれない。とりあえずここは指示に従っておこう。

 

そしてわたしは風呂へと向かった。

 

 

高級マンションの26階に友人は住んでいる。

マンションは高けりゃいいってもんじゃない。むしろ高ければ高いほど、有事の際は逃げ遅れて死ぬだろう。

 

そう思いながら部屋に入ると、見渡す限り一面の空と、眼下には庶民の住居が広がっている。

ーーす、すげぇ。

 

いや、感動したわけではない。こんな景色、その辺のビルからでも眺められる。

 

それより何より落ち着かない。

なぜなら壁のほとんどがガラスでできているため、少し離れたビルから狙い放題なのだ。

 

向こうのビルまでの距離、およそ300メートル。余裕でスナイパーライフルの射程圏内。

 

こんな「狙ってください」と言わんばかりの部屋で、優雅に飯など食っている場合だろうか。友人の神経を疑う。

 

「ホラこれ、クッキー」

 

友人が例のクッキーを取り出してきた。立派な包装紙に包まれた、立派なクッキーだ。

早速、シールを剥がすとクッキーを貪(むさぼ)る。

 

ーーまずっ!!!!

 

なんだこのマズいクッキーは。ホテルオークラともあろうものが、なんたるクオリティー。

 

クッキーの説明書をゴミ箱から漁る。

なになに。

カレーサブレ、オニオンクッキー、山椒メレンゲ、ジャーマン、スパイシーナッツ。

 

えっと、これらはクッキーではない。どちらかというと煎餅だ。どうした、天下のオークラさんよ。

 

とりあえず、文句を垂れながらも全てのクッキーを味わってみる。

ーーうん、どれもマズい。

 

食べ物に対して「マズい」などと言うことが、どれほど失礼で不躾であるのかは承知しているつもりだ。

しかし、これは本当に美味くない。つまり不味い。

 

友人いわく、

「キミには分からないかもしれないが、上級国民のお年寄りにとっては、これが美味い味なんだよ」

とのこと。

 

どんな味覚してんだ、上級国民。

 

 

しかしこの部屋は窓ガラスしかない。設置してあるカーテンは当然ながらオーダー品で、ウン十万円したらしい。

 

それより何より強化ガラス、いや、むしろ防弾ガラスかどうかが気になる。

ワイヤーガラスであることは間違いないが、「ガラスの飛散を防止する」などという効果はどうでもいい。

この部屋にとっては、飛来物(例えば弾丸)により破損しないことのほうが重要なのだから。

 

ーーそんなことを考えながら、わたしはソファにふんぞりかえり、コーヒーを要求する。

 

「ウチはコンビニじゃない!」

怒りながらも、南部鉄器の鉄瓶で湯を沸かしに行く友人。

 

南部鉄器はサビてこそ価値があるらしい。そんな薀蓄(うんちく)を垂れているが、まぁどうでもいい。コーヒーさえ飲めれば。

 

あぁ、こんな執事がいたらなぁ。

 

 

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