滅多に外出することのないわたしは、外へ出ることが億劫になっている。
いや、正確には風呂に入るのが億劫だから、結果として外出できないのかもしれない。
普段から風呂に入らず不潔であることを自慢しているわたしだが、人前へ出るとなればやはり風呂へ入らずにはいられない。
そうだ、人と会う予定さえあれば清潔を保てるのだ。
とは言え、わざわざ人と会いたいとも思わないので、やはり不潔期間が続き、世捨て人となるのは仕方のないこと。
そんな諦めモードのわたしへ、一通のLINEが。
「欲しかったら取りに来て」
金持ちの友人からだ。どうやらクライアントに貢がれた高級クッキーを、わたしにくれるらしい。
そんな粉物で釣られるか、と内心思ったが、もしかすると非常に美味しいクッキーかもしれない。とりあえずここは指示に従っておこう。
そしてわたしは風呂へと向かった。
*
高級マンションの26階に友人は住んでいる。
マンションは高けりゃいいってもんじゃない。むしろ高ければ高いほど、有事の際は逃げ遅れて死ぬだろう。
そう思いながら部屋に入ると、見渡す限り一面の空と、眼下には庶民の住居が広がっている。
ーーす、すげぇ。
いや、感動したわけではない。こんな景色、その辺のビルからでも眺められる。
それより何より落ち着かない。
なぜなら壁のほとんどがガラスでできているため、少し離れたビルから狙い放題なのだ。
向こうのビルまでの距離、およそ300メートル。余裕でスナイパーライフルの射程圏内。
こんな「狙ってください」と言わんばかりの部屋で、優雅に飯など食っている場合だろうか。友人の神経を疑う。
「ホラこれ、クッキー」
友人が例のクッキーを取り出してきた。立派な包装紙に包まれた、立派なクッキーだ。
早速、シールを剥がすとクッキーを貪(むさぼ)る。
ーーまずっ!!!!
なんだこのマズいクッキーは。ホテルオークラともあろうものが、なんたるクオリティー。
クッキーの説明書をゴミ箱から漁る。
なになに。
カレーサブレ、オニオンクッキー、山椒メレンゲ、ジャーマン、スパイシーナッツ。
えっと、これらはクッキーではない。どちらかというと煎餅だ。どうした、天下のオークラさんよ。
とりあえず、文句を垂れながらも全てのクッキーを味わってみる。
ーーうん、どれもマズい。
食べ物に対して「マズい」などと言うことが、どれほど失礼で不躾であるのかは承知しているつもりだ。
しかし、これは本当に美味くない。つまり不味い。
友人いわく、
「キミには分からないかもしれないが、上級国民のお年寄りにとっては、これが美味い味なんだよ」
とのこと。
どんな味覚してんだ、上級国民。
*
しかしこの部屋は窓ガラスしかない。設置してあるカーテンは当然ながらオーダー品で、ウン十万円したらしい。
それより何より強化ガラス、いや、むしろ防弾ガラスかどうかが気になる。
ワイヤーガラスであることは間違いないが、「ガラスの飛散を防止する」などという効果はどうでもいい。
この部屋にとっては、飛来物(例えば弾丸)により破損しないことのほうが重要なのだから。
ーーそんなことを考えながら、わたしはソファにふんぞりかえり、コーヒーを要求する。
「ウチはコンビニじゃない!」
怒りながらも、南部鉄器の鉄瓶で湯を沸かしに行く友人。
南部鉄器はサビてこそ価値があるらしい。そんな薀蓄(うんちく)を垂れているが、まぁどうでもいい。コーヒーさえ飲めれば。
あぁ、こんな執事がいたらなぁ。
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