(う、動けない・・・)
かつては頻繁に聞かれた、
「満員電車でギュウギュウ詰めにされる」
というセリフも、ここ2年ほどまったく耳にしていない。
さらにわたしは「通勤ラッシュ」というものとは縁遠い生活を送ってきたし、「おしくらまんじゅう」という競技にも参加したことがないため、ギュウギュウ押される感覚にはピンとこない。
だがいま、今まさに、ギュウギュウ押されている。
いったい誰に押されているのか?
それは、羊だ。
わたしは今、羊の大群に囲まれてギュウギュウ押しつぶされそうになっている。
頼むからそれ以上詰めないでくれ。身動きが取れなくなる。
そこでふと疑問が湧く。
ーー羊は真っ直ぐ前にしか進めないのか?または後退するということを知らないのか、もしくはできないのか?
幅わずか80センチほどの「柵付き通路」で、羊の大群とわたしが挟まり、大渋滞を巻き起こしている。
正確には、羊の大群の中で写真が撮りたかったわたしが、強引に羊たちをかき分け進んだ結果、向かい来る羊とわたしがすれ違いざまに挟まり、動けなくなったのだ。
(いやいや、オマエが下がれよ。後ろガラ空きじゃん!)
左から「わたし・羊・羊」という並びで、80センチの通路を3匹が占領している。
毛がモコモコしている羊2匹は必要以上に体の幅を取っているわけで、強引に詰めれば毛が「遊び」となってなおさらガッチリかみ合ってしまう。
そしてわたしの後ろには羊の群が控えている。つまり後退はできない状況。
だが2匹の後ろは他の羊とのスペースがあり、一歩下がれば十分に身動きがとれるようになる。それなのになぜーー。
(もしかして羊は後ろにさがれないのか?)
まさかの「背水の陣」で、我々は挟まっているというのか。
わたしはあとちょっとで、この渋滞から抜け出せる。だが最も太い部分が腹回りである羊の、腹の手前でわたしの腹がぶつかっている以上、このまま前進するのは不可能。
そもそもわたしが立っていれば、このような事態には至らなかったはず。だがわたしの目的が、
「羊の群に紛れて写真を撮る」
であるため、しゃがんだまま進んだのだ。
そのため「わたし・羊・羊」で同時に80センチの幅を通過するのは、どう考えても無理だった。
繰り返しになるが、わたしが立っていたならば余裕ですれ違えたはず。片足ずつ抜いていけば自然と前へ進めるからだ。
なにより最悪なのは、羊からの強力なプレッシャーにより立ち上がれないこと。
「ちょっと、後ろさがってよ」
おもわず羊に声をかける。わたしの目の高さに羊の目があり、鼻も口も耳もほぼ同じ高さにある。
こんな至近距離で声をかけられれば、さすがの羊も何かを察するだろう。
ところが羊は澄んだ瞳をこちらへ向けると、より力強く前へ進もうとするではないか。
さらに向こう側の羊も、それが合図であるかのように同じく前へ進もうとした結果、2匹の羊が互いにギュウギュウ押し合い「すし詰め状態」を完成させた。
(ぬおっ!このままでは後ろに倒れる!倒れたとて、背後の羊にもたれかかるだけだが)
バランスを崩しかけたところへ、正面から別の羊が迫ってきた。わたしの顔面をじっと見つめると、濡れた鼻づらでクンカクンカにおいをかぎ始めた。
(やめろ!仲間ではないが、敵でもない!)
少なくとも「敵ではない」と判断したのか、フンッと鼻水を飛ばすとクルリと背中を向けて戻っていった。
その間も「わたし・羊・羊」は、相変わらずのギュウギュウ詰めで押し合いながらーー。
このままでは埒が明かないと、わたしは頭を使った。
そうだ、わたしは人間。羊たちをどかすことより、わたし自身をどうにかすることを考えよう。
まず膝を地面につけて正座をする。
そして膝を前後に開き、片膝立ちになる。
続いて横の羊を見ながら、両手を上げてバンザイをする。
そのまますくっと立ち上がる。
つまり、足を前後に開き体を横向きにすることで横幅を狭め、できた隙間を詰められる前にすくっと立ち上がった、というわけだ。
(おぉ、眼下に広がる羊の大群よ)
自らが向いた方向へしか進もうとしない羊。
目線を下げて羊と心を通わせようと、しゃがみながら前進したわたし。
その想いとは裏腹に、結果的には羊の進路を狭め、大渋滞の原因をつくってしまったようだ。
どこにいるんですか!?
アルプス