変頭痛

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頭が痛い。

片頭痛というやつか。

 

割れるほど痛くはないが、割れないとも言い切れない。

いや、割れたら相当な痛さだから、割れるはずもないが。

 

 

さっき友人と片頭痛の話をした。

片頭痛持ちの彼女は、自分に合う薬が見つからず、苦しい戦いを強いられてきたらしい。

だが最近、ビタッと効く薬と出会えたのだそう。しかしその代償として「ものすごい眠気」に襲われるとのこと。

 

それを聞いたわたしは、全身麻酔で眠りに落ちた時のことを思い出す。

ものすごい眠気どころか、あれは不可抗力としか言いようがない。眠気を感じる間もなく、ベラベラ喋っていたら急に落ちたのだから。

 

眠気というものは、本来「幸せな感覚」だ。

そのまま眠れたらどんなに幸せか、というケースが多いのが眠気の特徴といえる。

 

会議中、単調な作業中、勉強中、終電で帰宅途中ーー。

寝てはいけないシチュエーションでこそ、眠気という質(たち)の悪い悪魔が襲ってくる。

 

ーーこのまま眠れたら最高なのに。

 

それが許されないからこそ、眠気は崇高で尊いものとなる。

 

 

学生のころ、バイトまでの時間つぶしでよく山手線を使っていた。

とくに冬の山手線は、貧乏学生に夢のような一時間を与えてくれる寝台列車だった。

 

山手線は一周およそ一時間。それゆえ、

「あと一時間、どうやってつぶそう」

というときに非常に便利。

 

一時間後に再びこの駅へ戻ってくればいいわけで、途中で目が覚めても「駅名」でおよその時間感覚がつかめる。

さらに一駅、二駅寝過ごしても問題はない。反対ホームの逆回りに乗れば、数分後には目的駅に着くからだ。

 

そういう意味で、山手線は時計代わりにもなる。

 

あの頃はまだ、冬といえば雪が降っていた。電車のドアが開くと、冷たい風と共に雪が車内へと吹き込んでくる。

ドア付近に座ると、駅に着くたびに歯を食いしばり、身体をギュッと固めなければならない。

 

そこでわたしは連結部に接する座席を確保し、マフラーやコートを正して身なりを整える。そして頭をそっと壁へあずけると、たった一時間だが夢の国へと旅立った。

 

普段、車内は空いている方がいいと思うが、この時ばかりは混んでいてほしいと強く願う。

少しでも多くの乗客により、車内の温度を下げさせないようにしてほしいからだ。

 

これが、ガラガラの車内でドア付近に座ったりすると最悪。ドアが開くたびに目を覚まし、しばし震え、ドアが閉まると眠りにつくーー。

この繰り返しとなり、十分に夢の国を満喫することができない。

 

同じ一時間、どちらが有意義に過ごせるかといえば一目瞭然。

とにかく、乗客でごった返す車内で定位置さえ確保できれば、その日はもう勝ち組だ。

 

 

しかし電車で感じる「揺れ」と、真冬の「温かい車内」という環境は、どうしてああも眠気を誘うのだろう。

そしてあのウトウトほど、金をかけずに手に入る気持ちよさはないだろう。

 

(あと一駅か・・)

 

そんな恨めしくも口惜しい思いを噛みしめながら、降車駅ギリギリまで目を閉じる。

 

容赦なく開くドア。吹きすさぶ雪。遅刻できない約束。

眠気を吹き飛ばす現実に、思わず背筋が伸びる。

 

ーーこれがわたしの記憶にある「眠気ストーリー」だ。

 

 

などというどうでもいい記憶を辿るも、相変わらず頭が痛い。

 

眠気という幸せな感覚は、寝てはいけないシチュエーションだからこそ悪魔と呼ばれる。

ならばわたしは、寝てもいいシチュエーションで鎮痛剤を飲もうじゃないか。

 

頭痛も治まり、睡眠も手に入るーー。

 

ダブルで幸せを味わえるに違いない。

 

 

サムネはまたまた、ホナウド!

 

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