決して、太っていることが「悪」ではない。
食欲を抑えられないあまりに、食うだけ食ってエネルギー消費をしなかった結果、醜く太ったのであれば自業自得。
逆に、たとえば病気で太ってしまうとか、体質的に太りやすいとか、どうしようもない理由を抱える人もいる。
あとは、俳優が役作りのために増量するといったケースもあるだろう。
いずれにせよ、太っているイコール悪というわけではないのだ。
しかし、飛行機や新幹線を利用する際に、隣が巨漢だったりすると若干殺気立ってしまうのは、わたしが未熟である証拠なのだろうか。
とはいえ、なぜわたしが見ず知らずのオッサンと、太ももをピタリと寄せ合いながら、空の旅を楽しまなければならないのだ?
しかも季節は真夏。タンクトップに短パンのいでたちで搭乗したわたしと、同じくタンクトップに短パンを履いた、200キロくらいありそうな毛むくじゃらのオッサンとが、何が悲しくてぶっとい腕と太ももとをこすりつけ合いながら、機内食を食べなければならないのだ?
あげくの果てには、わたしに気を使っていたのだろうか。さっきまでは肘掛けを使用していなかったオッサンが、寝ると同時にごんぶとなヘチマのような腕を肘掛けに置いたものだから、もはやわたしのテリトリーが半分ほど侵犯されているではないか!
オッサンが太っていることが悪いのではない。怒っても恨んでもいない。
だがどうか、わたしの座席料金を半分ほど負担してはもらえないだろうか――。
そんな思い出がよみがえる。
わたしは今、地下鉄有楽町線に乗っている。そして向かい側には、横幅がかなりビッグなオッサンが座っている。3人掛けのスペースだが、彼一人でほぼ二人分を占領している状況。
その隣りにも人が座っているため、二人の間にできたわずかな隙間には、犬一匹程度なら割り込む余地がある。しかし人間ならば、子供でも座れそうにない。
とそこへ、女性が乗り込んできた。ドア付近の空いている席に座ろうとしたところ、先ほどから立っていたサラリーマンがサッと座ってしまった。
つんのめりそうになりながらも、女性は踏みとどまった。そして別の空席を探し始めた。
そんな彼女の目に飛び込んで来たのは、あのわずかな隙間だった。
今の彼女にとって、一瞬でもシートの黄土色が見えたなら、一目散にそこへ向かうよう脳が指示を出しているのだ。
くるりと右を向くと、わずかな隙間へ向かって突進する女性。そしていよいよ現場に到着した。
しかし当然ながら、そこへ座るにはかなりの勇気がいる。たしかに黄土色は見えているが、そこは子供の尻すらも拒絶するほどの広さしかない。
少なくともわたしならば、見てみぬふりをして通り過ぎるだろう。
だが女性は、驚くべきことにその隙間に対して尻を向けたのだ。その結果、こちらへ振り向く形となった彼女は、一部始終を見守るわたしと目が合った。
そこで、中腰になりかけた彼女に向かって、わたしは小さく首を横に振った。真剣な眼差しで、何度も何度も首を振った。
(今ならまだ間に合う、止めたほうがいい――)
すると奇跡が起きた。
あと数センチで、巨漢と痩せメガネにヒップアタックを食らわせるところだった女性が、スッと立ち上がったのだ。
なんと、わたしが送った魂の合図を受け入れてくれたのだ!
彼女の挙動に目を丸くしていた巨漢と痩せメガネは、危機を免れてからもずっと、彼女の背後に釘付けになっている。
そりゃそうだ、あとわずかで自分たちの膝の上に、見ず知らずの女性が座るところだったのだから。
思いとどまらせたお礼というか、彼女の着席を許さなかったお詫びというか、なんとなく申し訳ない気持ちを感じたわたしは、そっと立ち上がると彼女へ座席を譲ったのであった。
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