ただ今 ”絶賛減量中” のため、食事の量を減らしている。
日ごろの摂取量がハンパないため、減量といえど実質的には
「食事の量を5分の1程度に減らすだけ」
といえる。
食事の量を5分の1程度に減らすなんて、やりすぎではないか?などとご心配くださるな。
私は、一日に6,000キロカロリーも食べるため、5分の1程度に減らしたところで、やや少ないかなというレベル。
しかし、ここでもコロナの影響が出ている。
コロナ騒動で練習をサボるクセがついた私は、週一回30分程度の練習しかしなくなった。
そのため、まるでスポンジのように水分を吸収・放出していた身体が、どんなに絞っても絞り切れない分厚い雑巾と化していた。
よって、取り急ぎスポンジのように変幻自在な身体を取り戻すべく、減量を開始した。
減量における食事のポイントとしては、とにかく量を減らすこと。
そして、その少ない量でも満足する食べ方をすること。
なかでも有効な食べ方は、
「細かく刻んで口に入れ、固形物が消えるまで咀嚼(そしゃく)する」
これに尽きる。
まずは口に入れる量を少なくすること。
そして少ない食べ物をよく噛んで、固形物が消えるまで咀嚼を続けること。
とにかく黙ってひたすらモグモグ噛み続けること。
気がつけば嚥下(えんげ)など必要ない。
いつのまにか食べ物は消えてなくなっている。
こうすることで、若干の満腹感が得られると信じている。
そして今日、私はうな重を食べた。
*
実際、白米を口にしたのもいつぶりか。
ましてやうなぎなど、何か月ぶりか。
うなぎは高価な食べ物だ。
もしあれが、「のり弁当」と同じくらいの値段だったら、ここまで美味いと思うだろうか。
高価であるからこそ、美味く感じているのではないだろうか。
水産庁発行の「ウナギをめぐる状況と対策について」によると、ニホンウナギの一生は、不明点が多いらしい。
ニホンウナギは、5年から15 年間、河川や河口域で生活した後、海へ下り、日本から約2,000km離れたマリアナ諸島付近の海域で産卵。
産卵場が特定されたのは、平成23年2月(研究開始から36年)であり、依然としてその生態に不明な点が多い。
調べているうちに知ったのだが、ニホンウナギの稚魚のことを「シラスウナギ」と呼ぶらしい。
そのシラスウナギの池入れ動向について、
○ ニホンウナギ稚魚(シラスウナギ)の国内採捕量には年変動があり、採捕量の不足を輸入で補っている。
○ 今漁期(令和元年11月~令和2年4月末日)は、日本をはじめ中国・台湾等を含めた東アジア全域でのシラスウナギの採捕が好調だったことから、池入れも順調に進み、3月下旬には池入数量が上限まで近づいた。
○ このため、漁期途中で採捕期間を切り上げ、4月上旬で今漁期のシラスウナギ採捕を終了した県もあった。
これは、なんとなく朗報ではなかろうか。
さらに静岡新聞によると、
ニホンウナギの稚魚「シラスウナギ」の2020年漁期(19年12月~20年5月)で、1キロ当たりの平均取引価格は前年を34.2%下回る144万円だったことが6月30日、水産庁への取材で分かった。
過去最高の299万円だった2年前に比べると、半値以下の水準になり、高騰しているウナギの値段が安くなる可能性も出ている。
こんなリリースまでされている。
ということは、私が味わおうとしているうな重も、いつもより安くなっているのかもしれない。
そんな淡い期待を抱きながらメニューを見たが、ここ数年使い回しているであろうおなじみのメニューで、どう見ても安くはなっていなかった。
とりあえず、一番小さなうな重を注文し、
「ご飯を半分にしといてください」
と、小声で伝えた。
そう、無駄に白米を残さぬようフードロス対策も万全だ。
店員のおばちゃんは
「もとからご飯の量は少ないけど、さらに減らす?」
と親切に確認してくれるが、そこは断腸の思いで
「いいから黙って米を減らしてくれ!」
と泣く泣く告げた。
そして現れたうな重。
どう見たって、美味そうじゃないか。
しかし私は減量の身。
箸でうなぎを細分化し、ちょっとずつ口へ運んだ。
溶けて消滅するまで、うなぎを噛み続けた。
正面に座る友人の話など、頭に入ってこない。
とにかく、全身全霊でうなぎを味わうのだ。
一口、また一口とうなぎを口へと運ぶ。
何十回も噛むうちに、うなぎの肉は消え、わずかな骨すらもかみ砕かれ、なんの味もしなくなり消えていく。
そんな単純作業を繰り返すこと30分、もとから小さかったうなぎは白米の上から姿を消した。
残るは、うなぎのタレがついた、白米。
減量時は炭水化物を抜きがちだが、私は炭水化物をまったく摂取しない食べ方は大反対だ。
炭水化物はいわゆるガソリンの役割を果たす。
ガソリンを入れずに車は走らない。
何事も、食べすぎがよくないだけで、食べないのもよくない。
しかし、やはりちょっとだけ炭水化物は控えておこう、という気になるのが乙女心。
その乙女心ゆえ、白米の量を半分にしてもらったわけだ。
白米もうなぎと同じように、ちょっとずつ、ゆっくりと、何十回も咀嚼するうちに消えてなくなる。
白米は
”噛めば噛むほど甘みが出る”
とか
”噛めば噛むほどうま味を感じる”
とかいう。
だが、溶けてなくなるまで噛み続けると、もうそんな悠長な感想は一ミリも出てこない。
ーー私は改めて気づかされた
結局、うなぎも白米も、そこそこの大きさまでかみ砕いたら、嚥下すべきだ。
減量の極論と、食事の美味さを比較すること自体、間違っている。
食事は美味しくいただくべきだ。
固形物ののどごしすらも、食事の醍醐味といえる。
ましてや高級な食事、うな重をいただくにあたり、なぜ、うなぎや白米が消えてなくなるまで咀嚼を続けなければならないのか。
そんなつまらない食べかたをして、うなぎ漁師や米農家が喜ぶとでも思うのか。
私は、怒りにも似た感情が沸々と沸き起こるなか、お会計を済ませて店を後にした。
ふとレシートを見ると、
うな重(超小盛)3,300円也
あの小さなうなぎで、あの白米の少なさで・・・。
(いやいや、そこじゃないだろう)
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