(・・シャクティーマットだ)
——友人は超能力者なのだろうか。インスタグラムの広告でたまに表示されるこの商品を、試してみたいと思ってはいたがいかんせん値段が安くないため躊躇していたところ、なんと今朝、突如自宅へ届いたのである。
もちろん、これが欲しいなどと言ったことはないが、頼んでもいないのに欲しいものが手に入るとは、わたしのほうが超能力者なのかもしれない・・。
シャクティー・マット(Shakti Mat)とは、インドで5000年以上前から使用されている伝統的な指圧器具「Bed of nails」を現代風にアレンジしたもの。マットの表面には無数の鋭いスパイク(突起)が付着しており、その上に寝転ぶことで皮膚に強い圧力がかかり、身体の内部の緊張をほぐしたり自己治癒力を活性化させたりと、疲労回復やリラックスをもたらしてくれるアイテムなのだ。
(リラックスできるグッズのはずなのだが・・と、とんでもない痛さじゃないか!!!)
商品を開封してすぐさま寝転んだわたしは、突起がもたらす想像以上の刺痛に飛び上がった——いや、飛び上がることすらできなかった。
正確には、最初はTシャツを着たまま寝転んだので、「トゲトゲが気持ちいいいなぁ」くらいの感想だった。しかし説明書を読んでみると、本格的な効果を得るには素肌で寝転ぶほうがいいようなので、さっそくそのように実践してみたのだ。
すると、想像を絶する刺痛に悶絶することとなった。これは本当に、今まで味わったことのない感覚である。まさに「ちょっとした拷問」といっても過言ではないほど、逃げることのできない痛みおよび不快感に襲われるのだ。
なぜ”逃げることができない”のかというと、理屈では「その痛みにしばらく耐えないと、効果が得られない」からなのだが、現実的には「無数の突起ので仰向けになっているので、起き上がろうにも痛すぎて起き上がれない」のである。
仰向けから起き上がるには、腹筋を使うか横へ転がるかの二択だが、いずれも身体の一部に過度な圧力がかかるため、それが痛すぎて実行できない・・というわけだ。
(痛みから逃れるべく死に物狂いのわたしは、最終的に両手両足でブリッジをしながら、背中に食い込んだ突起を剝がして生還を果たした)
シャクティーマットの不思議なポイントは、例えるならば「交替浴で、水風呂に入って1分間耐える」という行為に似ているところだろう。
水温13度の非常に冷たい水風呂に浸かった瞬間、今すぐにでも逃げたい気持ちになるのだが、その感情をグッとこらえて60秒数える——その時間の長いことといったら、もはや地獄へのカウントダウンみたいなもの。あの時の感覚に似ていると、個人的には感じるのであった。
無論、逃げようと思えば水風呂からもシャクティーマットからも簡単に脱出できる。だが、あえてそれをしないのは、その先にある未知の世界を知るため——。
そんな不思議な苦痛あるいは不快感が、吐き気をもよおすほどの刺痛とともにもたらせられるのだが、それと同時にほんの少しだけ・・本当に針の穴程度の小さなものなのだが、苦痛の先にある「まだ見ぬ希望」につながるのである。
ちなみに、なぜこの刺痛がリラックスにつながるのかというと、突起による圧力が「痛み」を感じる錯覚を起こすことで脳を活性化させ、オキシトシンのような化学物質が放出される。そして、いつしか痛みに慣れるとあら不思議!リラックスした状態になっている・・という仕組みらしい。
また、突起なしの圧力であっても、深部圧力刺激(DTP)により特定のポイントに圧力がかかることで、自然な反応としてセロトニン(幸せホルモン)などの化学物質が分泌される。この場合、例えるならば「大きなハグをされているような感覚」なのだそう。
——要するに、身体を指圧することは痛かろうが痛く無かろうがいいことが多いのである。
(それにしても・・吐き気をもよおすくらい痛いのだが)
もはや、何も考えられないくらい追い込まれたわたしは、何かにすがらずにはいられない心境だった。もしも何らかの宗教を信仰していれば、神なり教祖なりにすがるのだろうが、あいにくそういった「主」を持ち合わせていないわたしは、ただひたすら呼吸に集中することでしか、この地獄から逃れる術はなかった。
こういう状況に陥ると、不思議と「動くもの」に意識が向きがちなのは、わたしだからかニンゲンだからかは分からないが、とにかく動いているもの・・すなわち呼吸により伸縮する胸部に集中することで、苦痛と不快感を紛らわせた。
(なるべく長く呼吸をしよう、終わりの時がくるまで、とにかくゆっくり呼吸を——)
ピピピピ・・・
5分を告げるアラームが鳴った——助かった。
*
こんなサバイバルゲームのような状況が、わたしのシャクティーマット初日の感想である。まだとてもじゃないが「快適」や「リラックス」を味わうことはできないが、トゲトゲの上に何度も横たわるうちに、なぜか自然と痛みに慣れてくるから恐ろしい。
(あと数日もすれば、未知の境地にたどり着けるに違いない)
痛み、苦労、困難——それらの先には必ずや、光が待ち受けているのである。そう信じて・・いや、そうであってほしいと藁にも縋(すが)る思いで、今日も鋭い突起に背中を預けるのであった。
(・・・クッ、今すぐ逃げ出したい!!!)
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