若手職人の心の声
(・・・やっぱ届いてない)
これだから年寄りは困る。オレたちデジタルネイティブ世代からすると、SNSを使えない時点でコミュニケーションは難しい。
対面や電話なんてもってのほか。まずはSNSで繋がってから、関係が始まるのだから。
それにしても、どうしたらいいんだ。社長のほうから用事があると言っておきながら、メールが届いていないのだから身動きが取れないじゃないか。
メールが厄介なのは、大事なメールがたまに迷惑メールに振り分けられていることだ。添付ファイルがついていたり、圧縮ファイルのパスワードが書かれていたりすると、メールサーバーが勝手に「迷惑メール」へ送り込んでしまうらしい。
とはいえ、Amazonや金融機関を騙る迷惑メールが多いのも事実。つまり、9割方はありがたい機能なのだが、まれにそうじゃないメールまでもが葬られているところに、オレは不便さを感じているのだ。
だが今回、迷惑メールにも社長からのメールは届いていない。いったいどこへ送ったんだよ・・・。
それにしてもあのオッサン、頑なにSNSを拒んでいたからなぁ。手紙がメールになっただけでもかなりの進歩ではあるが、今さら「LINE入れましょうよ」なんて打診したところで、激怒されるに決まってる。
あぁ、他人とコミュニケーションとるのって、ほんと面倒なことだ。
ベテラン社長の心の声
「おかしいなぁ、一週間経つのに返事が来ない」
従業員2人の零細企業ではあるが、50年もの間なんとか切り盛りしてきたこの会社は、ワシの生きがいであり誇りである。
戦後の過渡期に生まれたワシは、それこそ寝る間も惜しんで現場を駆け回っていた。そのフットワークの軽さと仕事の丁寧さが評判を呼び、引く手あまたの売れっ子職人だったものよ。
だがそろそろ、ワシも会社も限界を迎えようとしている。
そこでワシは、腕のいい若い職人を雇うことにした。何度か同じ現場で仕事をしたことがあるが、今どきの若者にしては珍しく、いや、今どきだからこそかもしれないが、作業が正確で無駄がなく、すべてを任せられる職人だったのだ。
「オマエにならば、ワシの会社をくれてやる!」と叩きつけてやりたいところだが、なぜかメールの返事が来ないのだ。
若者は、仕事中でもスマホ片手になにやら夢中になっているが、それならばなぜ、メールに気がつかないのだろうか。それともすぐにメールを返せない、ルーズな性格なのだろうか。
いずれにせよ、ホウ・レン・ソウが大原則のこの世界で、報告も連絡もできないような奴は使い物にならない。
残念だが、ワシの目が節穴だったということなのか・・・。
URABEの感想
(・・・またやってるよ、あのじいさん)
なぜか社長のメールは、毎回迷惑メールに振り分けられる。日頃の行いが悪いのだろうか。それとも、前世でよっぽどの悪事を働いたのだろうか。
何度「迷惑メールではない」をクリックしても、毎回毎回、ものの見事に迷惑メールへ放り込まれるのだから不可思議である。
社長との付き合いが長いアタシは、迷惑メールも毎日チェックしている。もちろん「じいさんのためだけに」である。
ドメインが悪いのだろうか?フリーメールでもないくせに、なぜこうも迷惑メールに入れたがるのか。そしてこの被害の影響は取引先や関連企業へも広がっている。
「社長、次回の段取りについてのメールはまだですか?」
数日前に送信したはずのメールが、先方へは届いていないとのこと。しかし、送信済みのフォルダを開くと、確かにメールは送られている。
そこで相手に「迷惑メール」を確認してもらうと、
「ありました!こんなところに入ってたのか…」
と苦笑しながら、社長からのメールを一般フォルダへ移すのがお決まりのパターン。
そしてアタシは、若手職人をスカウトしようとする社長が、一週間前に彼へメールを送ったことを知っている。しかし、若手職人には届いていないということも知っている。
なぜなら、アタシは社長の愛人であり、若手職人はアタシの彼氏だからだ。
男どもが互いにこぼす愚痴を聞きながら、アタシの中でパズルが完成する。そして奇しくも、この問題を解決できるのはアタシしかいない。
社長の秘書という肩書で、会社の事務を任されているアタシは、社長にこう提案した。
「イマドキSNSが主流だからさ、アタシがSNSになってあげるよ」
75年間、デジタルとは無縁の生活を送ってきた老人に、いきなりスマホだのSNSだのいっても貝になるだけ。ならばアタシがSNSとなり、若者との間を取り持ってあげよう。
すると、
「そんなことできるのか?ならばこう伝えてくれ・・・」
と、予想外に乗り気でURABEの機能を使い始めた。
同じ話を若手職人にも告げると、
「メールよりURABEを使ったほうが、便利だし確実だな」
と笑いながら賛同してくれた。
*
こうして、新サービス「URABE」を利用することにより、とある昭和の弱小老舗(しにせ)工務店は、令和の時代も生き延びることができたのである。
(了)
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