「日本語」という狭き門

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日本という国は、世界でもトップクラスの情報コントロールがしやすい国である。

その理由は簡単だ。地理的にも独立した小さな島国であるのと同時に、「日本語」という独特の言語のみを使用しているからだ。

 

グローバル化と言いつつも、英語が理解できる政治家の割合はどのくらいだろうか?

「日常会話ができる」とか「かつてホームステイしていた」とか、そういうお遊びレベルではなく、海外で起きている日々の出来事について、どのくらい調査し理解しているのだろう。

 

トップがそんな感じなので、作られる法律も国内のみを内包的に網羅したものであり、海外や外国人への対策はザルである。

たとえば役所でありがちなトラブルは、「外国人の氏名のよみがな」だったりする。アフリカ系の名前は「ン」で始まる場合が少なくないのだが、わたしが役所で勤務していた当時、

「ンから始まる名前はシステム上登録できないので、読み方を変えてください」

と言われたことを思い出す。

 

人名ではないが、チャド共和国の首都は「ンジャメナ」だが、これはどう表記すればいいのか。「ウンジャメナ」だろうか。

せめてローマ字表記で対応するよう統一すればいいのに、ここでまた「英語アレルギー」の国民性がそれを許さないのだろうか。

 

そんなこんなで、我々は日本語のニュースを見聞きし、日本語で発信されたものだけを信じて毎日を過ごしている。

今でこそ様々なSNSが浸透したため、海外の人とも容易につながることができる。だが、己の目で見て耳で聞いて確認した「英語の論文」など、ほぼ皆無に等しいのではないか。

 

たとえば、COVID-19やワクチンに関する海外ソース、あるいはSTAP細胞のその後について、「海外では当たり前」とされる情報を読んだことのある人は、どのくらいいるのだろうか。

「英語が読めないからわからない」

と称して、著名人の発言を鵜呑みにしているうちは、情報が錯綜することもないので「一方通行」を簡単に生み出せる。

そしてメディアも、あえて海外の状況など放送しないため、日本で起きている「いま」こそが、世界でも同様に起きている現実なのだと錯覚する。

 

ちなみに、メディアというのはスポンサーで成り立っているため、どうしてもスポンサー寄りの内容となるのは仕方ない。

 

かつて某スポーツ新聞社で勤めていた頃、スポンサーの影響で記事が差し替えられるのを、目の前で見たことがある。当時はそれが悪いことだとも思わなかったし、スポンサーあっての新聞なのだから仕方のないことだと受け止めていた。

しかし、一般人にとってはスポンサーの影響などどうでもいいわけで、読みたい記事を差し替えてまで、スポンサーにこびへつらう必要があるのか疑問に思うだろう。

 

ところが、これこそが企業の実態なわけで、そこを理解しながら新聞を読まなければならない。

純粋な気持ちで、

「新聞に書いてあるのだから、テレビで放送されているのだから、偉い人が言ってるのだから間違いない!」

などと勘違いしてはいけない。各メディアごとのタイプを知っておかなければ、ある意味「偏った情報」になりかねないのだから。

 

そして、なぜ突然このような話になったかというと、じつは、巷で流行りのNFT(non-fungible token:非代替性トークン)で、わたしのコラムの資産価値を測ろうと試みたのがきっかけ。

そこで、NFT最大のマーケットプレイス「OpenSea(オープンシー)」をはじめ、いくつかのマーケットプレイスを探索してみたところ、わたしが戦える舞台はおよそどこにもないことが分かったのである。

 

その理由は「日本語」だからだ。

 

文字が読めるようになるまでの子どもや、もはや文字を読まなくなったお年寄りを省くと、リアルに「日本語を読める人数」が算出される。

参考程度に、日本の識字率はほぼ100%だが、15歳以上を対象とするため、およそ1万人程度だろうか。

さらにそこから、「興味を持って読んでくれる層」を抽出すると、わたしのような奇妙なコラムに興味を持ち、熱心に読んでくれる人数などたかが知れている。

 

つまり、日本語のコラムの面白さに価値を見出してくれるのは、日本人しかいない。その中でもごく僅かなマニアしか、わたしのコラムを面白いと評価してくれる人間はいない。

となると、NFTによる唯一無二の資産価値を付与されようにも、そもそもの価値が認められない可能性が高いのである。

 

――以上のことから、日本語でしかコラムを書けない無能さに、打ちひしがれているところだったわけだ。

 

イラストや音楽、短い文章(Twitterの投稿など)などは、世界共通で価値をシェアできる。

しかし言語というのは、その国独自の文化であり、さらに面白さを理解するとなると、ある程度のリテラシーを求められたり、個人の好みによって左右されたりするだろう。

無論、わたしのコラムなどリテラシーのリの字も必要ないが、それでも積極的に読んでもらうには限界がある。

 

(やはり、欲張らないことが一番・・・)

 

さて、そろそろ寝ることにしよう。

 

Illustrated by 希鳳

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