渋い表情の友人が目の前に座っている。
人間ドックを終え、バリウムの後遺症に顔を歪めているのだ。
そんな彼は外資系人事のスペシャリスト。
バリウムのせいで調子はイマイチのようだが、実際は医者も太鼓判の健康優良児。
会えばわかるが、にじみ出る「健康感」というものを放っている。
これは自覚的健康や主観的健康もさることながら、他人から見ても明らかに健康であろう「客観的健康感」のこと。
本日の人間ドックの結果を待たずして、私は彼の健康を確信する。
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人事畑を渡り歩いてきた友人の話は面白い。
私は社労士だが、得意分野は労働法近辺のため人事制度は任せられない。
そのため、彼から聞く「人事」の話は興味深いものばかりで勉強になる。
人事とは非情なシステムで、全員を平等に評価することは不可能。
いや、平等に評価されたと誰もが納得するのは不可能、と言うべきか。
それゆえ、皆が「ある程度納得のいく制度」の構築というものが求められる。
その点、彼の考えはシンプルだ。
「人事評価って、なんていうかコミュニケーションのようなものだと思ってるんだよね」
このスタンス、私も強く同意する。
「会社はこういうことを期待しています、とか、こういう人になってもらいたいです、とか、そういうメッセージが人事評価なんじゃないかな」
人物査定こそが人事評価、と思っている人には到底吐けないセリフだ。
グランドデザインに始まり、企業の歴史や文化・目指す方向性、そして評価の対象が短期的な目標の達成度なのか、長期的な成長なのかなど、業種や規模によって一から設計するーー
彼の話を聞いていると、既存の人事評価制度というものが、いかに形式的かつ形骸化したものかが分かる。
「こんな立派な評価制度がある、ウチの会社はすごい」
と、盲信している企業に辟易する。
人事制度の本質はなにか。
この質問に対して明確に答えられないような人事担当や人事コンサルタントは、即刻看板を下ろすべきだ。
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学生時代、部活動に勤しんだ人には分かるだろうが、他校との練習試合を経て「友達が増える感覚」というものがある。
習い事全般に言えることだが、試合やコンクールは結果を求めるだけでなく、境遇の近い者同士の交流の場でもある。
当時はライバルでも、卒業後は気の置けない仲間となることも珍しくはない。
そんな「近い境遇にある仲間」と似た関係性を連想させるのが、外資系企業の社員。
全国の該当者を調査したわけではないので、これが結論とは言えない。
だが少なくとも、私の身近にいる外資系企業の社員らは皆、横のつながりが太い。
通常、企業内での関わりがあるのは当然だが、外資系に限っては「ポジション」で移動するため、内部より外部へのアピールが重要となる。
前社の同僚が別会社のCEOになったとか、別会社の同ポジションの人物がどこどこにヘッドハントされた、など情報収集を怠らない。
そして外資畑で生き延びるには「タイトルの研鑽」が必要不可欠。
役職に見合う実力を発揮するだけでなく、自身のジョブレベルの向上なくしては、キャリアパスの成功は望めない。
そんな外資系企業で働く人々を見ていると、すこし羨ましい気持ちになる。
目の前にある「仕事」とは別に、自身の「キャリア」の成長も楽しめるわけで、毎日が部活の延長のようなワクワクっぷりだろう。
(非外資系の人間の感想)
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「私はこれが得意です」
強みを買ってもらうことこそが、その人の価値の正しい評価ではないだろうか。
この部分に関して、私は誰にも負けません。
胸を張れる分野が一つでもあれば、あとはそれをどう生かすかのアイデア勝負。
得意=好きとも限らない。
好きではないが得意、というものはある。
たとえば私は筋肉質なフォルムを持つ。
だが筋トレは好きではないし、やりたくもない。
(むしろ、やらない)
それでも、力仕事は得意だし重宝がられる。
仕事とは「お金を稼ぐ手段であり、自己実現の側面もある」と、私の中では定義づけている。
必ずしも好きである必要はないが、得意なことを仕事にすべき。
それが、部分的な「得意」であったとしても、捉え方次第で立派な「プロ」となり得ることを覚えておいてほしい。
今からでいい、得意なことを仕事にねじ込んでみないか。
一つにこだわる必要はない。
いくつもの「顔」があるほうが、面白いし魅力的なものだ。
Illustrated by 希鳳
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