知らぬが仏というべきか、はたまた、見ぬもの清しなのか。いずれにせよわたしは、実物をこの目で見たわけではないので、その画像は信じないことにした。
——この世は嘘でできている。そう、己の目を信じて生きて行こう。
*
友人の結婚式に参列したわたしは、年に一度着るか着ないかの、露出の多いテロテロ素材のワンピースに身を包んでいた。そのため、背中に生える産毛のシェービングまでしっかりと済ませてきた。
これにはちょっとした理由がある。じつは、わたしが住むマンションの一階に、テナントとして理容室が入っているのだ。「コンビニへ行くよりも近い場所に理容室があるのならば、シェービングくらいやっておこう」ということで、背中のシェービングを思いついたのである。
このように細部にわたり手入れをし、準備万端で乗り込んだ披露宴。新郎新婦の初々しい表情にほっこりしつつ、和やかで平穏な時間が流れた。
壇上に並ぶ新郎新婦の話を聞きながら、わたしは、目の前にある友人の背中をまじまじと見つめていた。
彼女は、とある健康美を競うコンテストに出場しているため、ボディはもちろんのこと、姿勢や歩き方も非常に美しい。なかでも背中と尻のラインが絶品。
実際のところ、彼女がここまで見事なスタイルを作り上げる過程を、わたしはずっと見守ってきた。だからこそ、このボディが単なる美しさではなく、努力の賜物であることを知っている。時間とカネと、そして本人の根性によって形成された見事なフォルムは、もはや美しさを超えて芸術品といえるほど、完璧な形状を保っていた。
「彼女の背中、綺麗だよね」
パックリと開いたドレスの背中に視線を注ぎながら、左隣りに座る友人(男)に問いかけた。
「うん、すごく綺麗」
それは、エロスとは異なる次元の妖艶さを兼ね備えているようだった。美しく伸びた首からつながる、真っ直ぐな背骨と程よい背筋。そんな健康的なラインが、より魅力を引き立てているように感じるわけで。
そして恥ずかしながらこのわたしも、彼女が着ているドレスと似たようなワンピースを着用しているため、ここまで細くはないだろうが、やはり健康的で魅力あふれる背中を披露しているのだと、当然ながら自負していた。
ややもすると、「隣に座るこのオトコは、わたしの背中を見て、密かに欲情しているんじゃないか?」などと、己の罪深さに胸を痛めるのであった。
(何はともあれ、背中のシェービングを済ませておいてよかった。レディの身だしなみとして、殿方の目に触れても恥ずかしくない背中を作っておいて、本当によかった・・)
内心、こんな風に安堵していたわけだ。
すると突然、左に座る友人(男)が、わたしにスマホの画面を差し出してきた。新郎新婦の話は続いており、こんな時になにを見せようというのか——。
と同時に、普段から大爆笑などするタイプではない彼が、思わず口に手を当てて吹き出したのだ。
(え?!いったいなにが写ってるんだ?)
彼のスマホを引ったくり画像を確認すると、そこには二つの背中が並んでいた。そう、わたしとわたしの前に座る友人の背中だ。
二人とも同じような黒いワンピースで、ダイレクトに背中を露出しているところまでは一緒である。だが・・・。
わたしは思わず絶句した。
そこには確かに、彫刻のように美しい友人の背中が写っている。ただし、手前の背中はなぜか、平面であるべきところが盛り上がっているのだ。
言語化するならば、「立体的に隆起したおっぱいのある背中」という感じか。
しかもよく見ると、ワンピースの脇から広背筋がはみ出ている。おまけに、勇ましくブルンと伸びた腕には、筋肉の凹凸に沿って陰影が描かれているではないか。
——こ、これは・・。本当にこれがわたしの背中なのか?まるで猫背のように丸まった肩甲骨辺り、これはもしや、僧帽筋なのか??
オンナのわたしからしても、ものすごく抱き心地の悪そうな屈強な背中が写っている。どんなにセクシーな衣装で着飾っても、逆にシュールさが増すだけで、どこまでいっても決して「妖艶」とは交わらない何かが、そこに写し出されていたのだ。
(——いや、信じられない。これは撮り方の問題だろう。なぜ、鍛えてもいないわたしの背中が、このように荒ぶるのか。どう考えてもおかしいじゃないか。・・そうか!集合写真で端っこに写ると横に伸びた感じになる、アレと似たような現象か。どんな事情であれ、わたしはコレが自分の背中だなんて信じない。なんせ、この目で見たわけじゃないんだ。そんなの違うに決まっている!)
*
そういえば昔、光脱毛の施術者に「背中がゴツゴツしててヘッドを当てにくい」と言われたことを思い出した。あの時は「なに言ってんだ?」と思っていたが、もしかすると本当に背中が波打っていたのかもしれない。
この世には、理屈で片付けることのできない不思議がたくさんあるものだ。
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