脳でピアノを弾く私

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今日は、3週間ぶりにピアノのレッスンがある。ちなみに途中、レッスンをサボったわけではない。年間のレッスン回数が決まっているため、それを振り分けていくと月に2回ということもあるのだ。

 

そして3週間もの期間があれば、かなりの上達が見込めるもの。そもそもレッスンがないのだから、課題曲が増えることもない。ということは、いま取り組んでいる曲だけをじっくりと練習できるわけで、ほぼ毎週課題曲をクリアするわたしからしたら、それはもう深く掘り下げ熟成させた、完璧な状態に仕上がっているはずなのだ。

とはいえ、実際にどの程度の完成度なのかと問われても、こればかりは先生の判断なのでなんとも言えない。だがわたしなりに、毎日欠かさず練習を続けてきた熱量が、この5曲に注がれているのである。

 

ピアノのいいところは、練習すれば必ず上手くなる(良くなる)ことだ。ピアニストや音大生のようには弾けなくとも、自分の器(ポテンシャル)を十分に満たすことはできる。

そもそも、自分だけを見ていれば嫉妬も劣等感も湧き上がることはない。他人と比較するからこそ、そういったじめじめした感情に苛まれるのである。

だからこそ、わたしはレッスンが楽しみなのだ。先生は生徒自身に向かって指導をするわけで、「誰々さんのように弾きなさい」などという無謀な発言はしない。その人にあったレベルで、テクニックや表現方法を改善してくれるのが、指導者というものだからだ。

 

そして不思議なことに、そのアドバイスはいつだって、自分では気が付かない視点からの発言のため、「あぁ、今日もレッスンを受けてよかった」と思えるのである。

これはピアノに限らず、料理や手芸、絵画といった文化的な趣味全般に通じる感覚かもしれない。他人の評価さえ求めなければ、必ずや、昨日よりも上達した自分に出会えるのだ。

 

それに比べて運動系の趣味は、必ずしも、積み重ねるように成長を感じることはできない。その原因の一つに「肉体的な限界」が挙げられるだろう。加えて、他人と競い合うような場合、自分が成長していても他人がもっと進化していれば、残念ながら自分自身の変化に触れることは難しい。

そんな残酷さが、スポーツには潜んでいるように思うのだ。

 

それにしてもピアノは、一晩寝て起きるだけでも明らかに変化があるのが面白い。

昨日、寝る前まで散々練習したにもかかわらず、一向にすんなり弾くことのできなかったパッセージが、翌朝弾いてみるとあら不思議!難なくサラッと通過できるではないか。

これは「ピアノあるある」ではないかと思うが、どれほど練習しても躓いてしまう部分に腹を立て、怒り狂ってふて寝をする。そして、起き抜けになんとなく弾いてみると、さっきまでは弾けなかった部分がなぜか弾けるようになっている——。そんな経験が誰にでもあるはず。

 

だからこそわたしは、今日がダメでも安心して眠ることができるのだ。明日になれば必ず弾けるようになる、ということを知っているから。

 

勝手な想像だが、この奇跡には「脳」が関係していると思う。ピアノは指の運動であることは間違いないが、それらを動かすための神経に命令を出す脳も、必ずや関係しているはずである。

睡眠の仕組みは未だに解明されていないが、それでも、睡眠中に脳内の整理や修復が行われるとされるので、やぶれかぶれで散々の状態でも、睡眠を挟むことできちんと並べ替えられるのではなかろうか。

 

小学校の頃、どうしても上手く弾けない部分があり、悔しくて明け方まで練習したことがあった。気がつくとあと2時間で登校時間・・ということで、急いでベッドへもぐりこんだ。

そして一時間半ほど仮眠してから、登校前にもう一度同じ箇所を弾いてみたところ、なんと、上手く弾けたのである。

 

たった一時間半の間に、なにが起きたというのか——。しかしわたしは、小学生ながらに「脳が整理してくれたんだ」と悟った。なぜなら、指も体も何ら変化がないのに、結果だけが明らかに変わったわけで、「疑うべきは脳しかない」という結論に至ったからだ。

それ以来、うまく弾けなくても半狂乱になることはなくなった。そう、明日になれば弾けるようになっているから!

 

 

そして今、レッスンに向けて準備万端のわたしが不安に思うのは、「物理的に指が動かない」ということだ。

 

ブラジリアン柔術というスポーツを嗜んでいるわたしは、日々、指を酷使している。そのため、いつしか節くれだった太い指になってしまった。さらに今日、グーが握れないほど指が痛くなってしまったのだ。

もちろん、これでは繊細な音色を奏でることはできない。おまけに、内側へ曲がった小指では強い音を出すことができない。それどころか、摩擦でカサカサに固まった指の関節が、速くて滑らかな音階を全力で阻止する始末。

 

(3週間も練習したのに・・・)

 

やや寂しい気持ちになるが、大丈夫。寝て起きたらきっと、指がどうにか動くようになっているはず。ダメならダメで、その時点で考えよう——。

そう念じながらも、ある種の「あきらめ」を受け入れられるようになったわたしは、間違いなく精神的に成長しているのである。

 

Illustrated by 希鳳

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