ショパンコンクールに学ぶ

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2021年10月といえばショパン国際ピアノコンクール、通称「ショパコン」が開催される月。各国のピアニストたちが「世界一のショパン弾き」の称号を手に入れるべく、およそ3週間にわたって壮絶な戦いを繰り広げるのだ。

世界三大コンクールの一つであり、世界最古のピアノコンクールでもあるショパコンは、なんと5年に一度しか開催されない。さらに出場資格には年齢制限もあり、16歳から30歳までしか挑戦は許されない。そんな私もショパコン出場の機会を狙っていたが、年齢制限で引っかかってしまい断念せざるをえない。あぁ、誠に残念だ(白目)。

この歴史ある由緒正しいコンクールは、ショパンの故郷であるポーランドの首都・ワルシャワで、彼の命日を挟んで開催される。

 

本日は二次予選が行われており、日本人8名(45名中)が三次予選へ進むべく熱演を披露する。ちなみに一次予選は14名(87名中)の日本人が臨んだが、惜しくも6名が通過とはならなかった。ちなみにちなみに、一次予選に参加するための「予備予選」というものがあり、これには世界各国から151名の参加があった。

このように一次予選に参加するにも、その手前の「予選」を通過しなければならないわけで、かなり長丁場のコンクールとなる。

 

大変なのは拘束される期間の長さだけではない。実際に弾く「曲の長さ」も信じられないほど長いのだ。たとえば、一次予選の演奏時間はおよそ20分間だが、二次予選はその倍となる40分間も演奏する。さらに三次予選に進むと少なくとも45分以上、長いと一時間近く弾くわけで、こんなにも長時間、高い集中力で演奏に没頭するなど並大抵の能力ではない。

なお、三次予選を通過できるのは10名のみで、最後はワルシャワ・フィルとのピアノコンチェルト(協奏曲)で順位が決まる。ちなみに一位が「該当者なし」という年もあり、ファイナル進出者の誰かが優勝するとも限らないのだ。

 

このショパコン、単にピアノの技術が優れているというだけでは全くダメ。いかにショパンを学び、理解した上で表現しているのかを審査される。

音楽の授業でも習ったであろう、「ピアノの詩人」ことショパン。そりゃあ読解力がなければ読み解けないし、その秀逸なポエムを現代において再現しなければならないのだから、「指さえあればいつか弾ける!」なんて甘いもんじゃない。

あぁ、そういう才能を持って生まれなくてよかった、と心から安堵する。

 

 

今回はYouTubeによるライブ配信のおかげで、連日寝不足が続いている。もちろん日本人コンテスタント(出場者)を応援するために見ているのだが、その前後の奏者の演奏に度肝を抜かれるのも面白い。

日頃から海外のピアニストをチェックする習慣などない私は、ショパコンを機に多くの海外ピアニストを知ることとなった。ピアノの音や弾き方だけを見聞きしていれば、それが日本人か外国人かを判断するのは難しい。ということは、ピアノの弾き方には日本も海外もないということだ。

ーーその時、ふと思うことがあった。

 

(日本語って、わずか1億人程度しか読み書きできないんだな・・・)

 

今書いているこの文字ですら日本語なわけで、日本人以外には読めないし伝わらない。世界で英語を話す人口はおよそ15億人(世界人口の20%強)で、ネイティブ以外に第二言語として英語を使う人数も含まれる。ちなみに中国語はおよそ14億人が話すわけで、日本語と比べるとスケールが違いすぎる。

SNSでも日本人同士のやり取りで盛り上がっているわけだから、世界規模で見たら「リアル・井の中の蛙」ってやつだ。

 

ピアノの楽譜はドイツ語やフランス語で書かれているものが多く、それが和訳されている譜面を読んで練習をする。とはいえ和訳の時点で、解釈のニュアンスが異なる可能性も十分に考えられる。

ちなみにショパコンでは「推奨されるエディション」がある。ショパンの曲は様々なバージョンが現存し、表現や指示、音までが違う場合もある。それらを統一するために、ショパコンでは「エキエル版」が推奨されているのだ。

 

日本人コンテスタントたちもほぼ全員が海外の指導者に師事しており、通訳を同席させる場合もあれば、自らの語学力でコミュニケーションを図る人もいるだろう。その結果、世界で戦えるだけの奏法や表現方法、分析力、メンタルが培われる。

かくいう私も幼少期に一度だけ、ロシアの有名なピアニストのレッスンを受けたことがある。だがその当時、ロシア語も英語もわからないので、通訳が伝える言葉のとおりに弾いてみた。しかしそのニュアンスが本当にそのとおりだったのかは、今でも疑問に思う。

 

真の意味を理解するためには、指導者の言葉を自身で消化し、さらに質問できるほうがいい。そういう意味でも、せめて英語で物事を表現できるようにならなければ、世界相手に戦うのは厳しいだろう。これはピアノに限った話ではなく、ビジネスでも研究分野でもスポーツでもなんでも同じ。

 

なんて偉そうなことを綴っているこの文章でさえ、日本人のなかでもごくごく僅かな人が目にするだけで、世界レベルでみたら蛇口からポタっと落ちそうで落ちない雫の表面張力未満の存在でしかないわけだが。

 

 

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