「クリーニング代って経費になる?」
会社を共同で経営する相方が尋ねる。
「事業に関する衣服で、クリーニングが必要なものなら経費になるよ」
わたしが答える。すると相方が、
「ふーん、よく分からないけど入れとくか。ダメなら税理士にはじかれるでしょ?」
と言った。なぜそういう適当なことが言えるのか。何をどんな目的でクリーニングに出したのかくらい、己で覚えておけ。
イライラしながらわたしが尋ねる。
「クリーニングって、どこのクリーニング店?」
すると相方が、
「えーっと、白金って書いてある」
と答えた。
わたしはその瞬間、ものすごく嫌な予感がした。
我々の会社は栃木県の端っこにある。だが、なぜそんな遠距離の会社の領収書の中に、白金のクリーニング店の領収書が混じっているのか。
仮にわたし自身の衣服をクリーニングに出したとすると、その領収書はわたしの手元にあるはず。
しかし、クリーニングは年に二回と決まっているため、直近の領収書は目の前にある。
なぜ二回かというと、「もしかすると、まだ着るかもしれない」という優柔不断な思いが決断を遅らせた結果、冬物を夏に、そして夏物を冬に出すという、年に二回の恒例行事となっているからだ。
わたしは黙ってその領収書を拾い上げた。クリーニング店の名前に見覚えはないが、確かに住所は港区白金となっている。
さらに受付の日付は8月17日、仕上がりは8月21日と書かれている。
「ねぇ、この領収書の束って、ぜんぶ今期のやつだよね?」
8月17日といえばつい先日のことだ。このクリーニング店も、この日付も、まったく記憶にない。
すると相方は、
「そうだと思うけど。でもこの日付は今年の8月じゃないよね、記憶にないもん」
と、わたしの考えと同じことを口にした。
なぜなら、わが社の領収書はすべて相方が管理している。わたしはいわば最終決裁者であり、偉そうに文句を言いながら監視しているだけだからだ。
そして気になるクリーニングの品名は、「クロワンピース」と書かれている。相方は男であるため、これは間違いなくわたしのものだ。
とはいえ、普段使っているクリーニング店ではない店で、クロワンピースなるものをクリーニングに出した記憶などまったくない。
なんだこの奇妙な事実は。
「このクリーニング店って、いつものところのちょっと先にある店だよね?」
相方が言う。
「たしか、いつものクリーニング店が休みで、この店に行かされた記憶があるよ」
なんだと?!なぜそんな古い記憶が残っているのだ?
「クリーニング店なのに、珍しい電飾の看板だなと思ったから、覚えてる」
なるほど。施工関係が本業の相方ゆえに、この発言は間違いないと納得できる。
とはいえ待ってくれ。行きつけのクリーニング店が休みだからと、行ったこともない別のクリーニング店にワンピースを出すほどの緊急事態など、起きるはずがない。
仮に起きたとすれば記憶に残るわけで、いくら記憶力に障害があるとはいえ、さすがにそのくらいインパクトのある出来事ならば、わたしだって覚えているはずだ。
そんな緊急事態など、起きるはずもな・・・
(・・・・・・・・・・)
わたしは青ざめた。
(間違いない、これは絶対にアレだ・・・)
そう、このクロワンピースと書かれた衣服は「喪服」だ。昨年夏の葬式で袖を通した後に消えた、あの喪服に違いない。
家中どこを探しても見つからない喪服のワンピース。行きつけのクリーニング店にも確認したし、近所のカフェや思い当たる節はしらみつぶしにあたった。
しかし喪服はどこにもいなかったのだ。
そのため、ネットで最新の喪服(一人でもファスナーを上げられるタイプ)を購入したわたし。
なぜなら、不幸はいつ訪れるかわからない。そんな万が一のためにも、手元に喪服を準備しておくのが社会人としての常識だからだ。
こうして、わたしの記憶から消え去った喪服の行方が、いま鮮やかに蘇ったのである。
だが、領収書兼預かり票にはこんな一文が記されている。
「一か月以後の責任は負いかねます」
一か月どころか、一年と一か月が経過している。もはやこのクロワンピースは、リアルにこの世に存在しないのかもしれない。
あぁ、今さらどの面下げて引き取りに行けばいいのか。きっと怒られるだろう。こっぴどく注意されるだろう。
この年になって、一年遅れでクリーニングを受け取りにいくなど、とてもじゃないが恥ずかしくてできない。
かといって、このまま放置するのも気が引けるし・・・。
こうしてまた、喪服に関する新たな悩みと葛藤する日々が始まったのである。
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