ベテラン運転手・源六氏(70歳)のお手並み拝見

 

私は東京のほぼ中心、港区白金に住んでいる。

そう、シロカネーゼというやつだ。

 

この称号を手に入れたいばかりに、必死に安い物件を漁り、現在の棲み処(すみか)を探し当てた。

 

朝から晩まで激務に励み、なんとか家賃を捻出し、命からがら支払いを続ける偽シロカネーゼだ。

 

 

私の住まいから公共交通機関で移動しにくい場所がある。

 

同じ港区内(一部、渋谷区)、直線距離で2キロ圏内なのに、電車もバスも希望するルートでは通っておらず、歩いたら30分かかる。

つまりタクシーで移動することになる。

 

それが広尾・元麻布・南青山方面だ。

 

 

私はここを魔の交通費トライアングルと呼んでいる。

 

「わたしたちお金持ちだし」

 

「車なんて所有するのが当たり前だから」

 

と、お高くとまる高所得者たちの庭だ。

 

 

 

**

 

 

仕事で南青山まで行くことになった。

 

経済的な推奨ルートは、地下鉄と徒歩を組み合わせる方法だ。

地下鉄南北線で白金高輪駅から溜池山王駅へ行き、そこで銀座線に乗り換え表参道駅で降りる。

そこから10分くらい歩けばいい。

 

 

――しかし私は寝坊をした

 

というか寝坊がデフォルト化しているので、経済的に正しいルートなど辿れるわけがないことは、起きる前、いや、寝る前から分かり切っていた。

 

 

待ち合わせは10時。

現在時刻9時37分。

 

 

遅刻を詫びる前に全力を尽くすのが礼儀だ。

ダッシュでタクシーに飛び乗る、という作戦を敢行した。

 

*

 

大通りに出ると、なぜか信号ごとに警察官が立っている。

 

――何してんだろ

 

怪訝に思いながらも車道へ乗り出し、遠くから来るタクシーの「空車」の文字を探した。

 

 

警察官は私を注意しようとした。

しかし私に近づくと、気配を感じた私が振り向き、警察官に微笑みかけて近寄らせない。

 

このコントが何度か繰り返され、結果的に注意はされなかった。

 

 

 

――とうとう空車が来た!

 

 

「南青山なんだけど、骨董通り入って真ん中あたりのセブンで降ります」

 

「経路に指定はありますか?」

 

「運転手さんにおまかせします」

 

 

都内でタクシーに乗ると、最近は決まり文句のようにこの問答から始まる。

 

乗客が偉そうに経路の文句を言うから、運転手も予め確認するのだろう。

 

時には、

 

「まだ不慣れで道が分かりません」

 

と、泣きそうな顔で振り向いてくる運転手もいる。

 

そんな時はGoogle Mapを発動させ、私がナビの役割を果たしたりもする。

 

共助あってこその、タクシー移動だ。

 

*

 

天現寺橋の交差点に差し掛かった。

通常ならばここを右折する。

しかしタクシーは直進した。

 

 

「曲がらないんですね」

 

「えぇ、日赤通りのほうが速いんですよ」

 

 

――なるほど

 

「日赤通り」がなんぼのもんか知らないが、ベテラン運転手が言うのだから間違いないだろう。

 

 

助手席のダッシュボードに、運転手の「名札」のようなものがくっ付いている。

 

運転手の名は源六、御年70歳。

 

スーパー運転手だ。

もし若いころからやっていたとすると、この道50年の可能性がある。

 

 

確かにドライビングテクニックが華麗だ。

車線変更の際、ウインカーの出し方に淀みがない。

 

ブレーキングも滑らかだ。

前方車両との間隔も常に一定をキープしており、こちらが「危ない」と感じる隙などまるでない。

 

 

静寂を割くように源六氏が話しかけてきた。

 

「それにしても今日はやけに警察が多いですねぇ、海外から要人なんて来るわけないのに」

 

「ですね、交差点ごとにいますよね」

 

 

――この他愛ない会話すらスムーズだ

 

長年の経験から導き出される乗客との間の取り方、とでも言うべきか。

 

 

源六氏が選択した「日赤通り」は、ほぼ一方通行のような狭い路地を経由し、最終的に日赤通りにつながる仕組みだった。

 

 

前方の車は業者、その前も業者。

 

つまりプロ御用達の道のようだ。

 

 

一体いまどこを走っているのか見当もつかない私は、こっそりとスマホで位置情報を調べた。

 

――いつもの道の一本奥を走ってる感じか

 

疑っていたわけではないが、方向が間違っていなかったことに安堵し会話を続けた。

 

 

「朝、タクシー捕まらないんですよあの辺り」

 

「そうでしょうねぇ。

タクシー会社が都心にはないんで、みんな(都心から見て)外から中へ入ってくるんですよ。

だからあの辺りだとすでにお客さん乗ってますからねぇ」

 

 

――なるほど。

タクシー車の基地が郊外にあるから、中心に向かってくることを考えると、逆側で待ったほうが空車の可能性があるのか。

 

 

「あそこなら古川橋まで出て2方向で待ち構えるか。

もしくは四ノ橋あたりで麻布から降りてくるのを狙うか、そんな感じですかね」

 

 

――素晴らしい。

震えるほど感動した。

 

 

タクシー運転手としても、そして人生経験者としても大先輩の源六氏は、的確かつロジカルな解説で私を納得させた。

 

*

 

信号がほとんどない裏道を抜け、いよいよ日赤通りに突入した。

 

この道の突き当りが高樹町の交差点、つまり骨董通りの入り口だ。

 

 

普段は西麻布の交差点を左折し、高樹町の交差点を右斜めに滑り込むかたちで骨董通りへと侵入する。

 

しかし本日は、高樹町の交差点の真正面に出くわし、そのまま道なりに進めば骨董通りへとつながるわけだ。

 

 

――なんとすばらしい最短経路だ!

 

 

私は源六氏に夢中になった。

 

年の功とはよく言ったものだ。

年齢などで職業や職務内容を差別すべきではない。

あくまで本人の能力で判断すべきだ。

 

これは、今こうして身をもって実感した私が言うのだから間違いない。

 

 

*

 

 

片道一車線の日赤通りは、逆車線で道路工事が行われていた。

 

そのため、高樹町の出口付近が渋滞している様子。

 

信号が何回か変わり、そのつど数メートルずつ前進を繰り返す。

 

目を細めると、はるか向こうに西麻布方面からの車が高樹町の交差点を右折し、スイスイと骨董通りに侵入していく姿が見える。

 

 

・・・・。

 

 

**

 

 

結果的に私は遅刻をした。

 

それは、私が寝坊したことが原因だ。

ベテラン運転手の選択経路は正しく、無論、源六氏に罪はない。

 

 

ただ、

 

片道一車線や一方通行の道は、何か起きた際に迂回が難しいため恐ろしい、ということを学んだ。

 

近いようで遠い、南青山への道のりだった。

 

3件のコメント

東京の道は本当に怖いし分からないです

タクシードライバーさんは尊敬しちゃいますね

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