特殊能力を覚醒させたわけだが

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ここ最近のマイブームは、すいかを玉で食べることだ。もちろん、自分でカネを払って購入することもあるが、そんなことをせずとも心優しい友人らが「すいかを一玉持って来てくれる現象」が、ここ最近で頻発しているのである。

しかも、他人にあげる果物というのは間違いなく美味いため、日々ジューシーで高級な(?)すいかを味わっているというわけだ。

だが、驚くべきはここではない。玉のすいかを毎日食べ続けるうちに、なんと、わたしに特殊な能力・・というか特殊技術が身についたのだ。これは大袈裟な話でもなんでもない、これほどまでに"見事な芸術作品を作り出せる素人"など、いるはずもないのだから。

その特殊能力とは——すいかで器を作ることだ。

 

芸術品というのは、フィルターを通してではなく実際に見て触って体験してもらうことで、その価値や素晴らしさを感じることができる。よって、どれほど文字で伝えようとしても「所詮、すいかの皮だろ」と一蹴されるに違いない。

だが、それでも敢えて自慢したい。この技術は職人級のクオリティである・・と。

 

最後のひと削りを終えると、わたしはそっとスプーンを置いた。それはまるで、引退試合を終えた選手がリングを降りる際に、その場へグローブをそっと置くかのような、寂しさと満足と安堵が入り混じった気持ちだった。そして、完成したばかりの"すいかの器"を恍惚として見入った。

(完璧だ・・完璧すぎる)

今日の"すいかの器"は、歴代トップレベルに仕上がった。外皮付近の白っぽい部分を削る際には、胸の高鳴りを抑えられないほどの手ごたえを感じていたわけで、至福のゴールに向かって手際よくシャッシャと走り(削り)続けたのだ。

 

ちなみに使用しているスプーンは、カレーライスを食べるときに使うごく普通のスプーン。よって、先割れやギザギザといった、すいかを食べるのに適した特殊スプーンではない。

そんなことからも、すいかを丸ごと食べ始めた当初はテーブルや床、自分自身の腕や太ももが果汁でベタベタになっていた。そのたびに拭き掃除を行うわけで、「こんなことなら、カットスイカのほうが断然ラクだ!」などとぼやいていたものだ。

それでも、丸ごと食べるすいかは明らかに美味い。カットスイカが「単なる赤い瓜」であるのに対し、丸ごとすいかは「圧倒的に夏の果物」であることを誇示していた。だからこそ、ものぐさの極みであるわたしが、わざわざ他人に頭を下げてまですいかを半分にカットしてもらい、それをスプーンですくって食べているのである。

 

そして、フルーツとしてのすいかを満喫した後は、芸術品としてのすいかの出番——そう、すいかの器が誕生するわけだ。無論、すいかの種類や熟成度合いによっても、果肉の状態は変化するだろう。だがそんな偶然を乗り越えて、ついにわたしは完璧な器の製作に成功したのだ。

可食部となる果肉はほぼすべて削り取り、外皮の内側まで迫る勢いでカレースプーンを滑らせながら成形する・・そんな地道な作業をリズミカルに続けるわたしは、今日に限って神がかり的ななにか——そう、ゾーンに入ったような感覚に包まれていた。

(もはや成功しかありえない。滑らかで極薄で均一な外皮の内側のクオリティは、完璧としか言いようがない・・・)

張りつめた集中力を保ちながらも、わたしはウットリとすいかの器の内側を眺めた。——あぁ、すいかの果肉の細胞ひとつひとつが見える・・いや、彼らの声が聞こえる気がする。そして彼らが協力してくれたことで、ここまで美しくなめらかな曲線が描けたのだ。すいかとニンゲンのコラボとでも言おうか、いやそんなレベルじゃない。亜空間における、すいかとニンゲンの以心伝心だ。

 

まさかの「ゾーンに入る」という体験を、すいかの器作りで再現できるとは思わなかったが、事実として"歴代トップの完璧な器"が完成したわけで、さすがはゾーン、ダテじゃない。

そしてわたしは、己が身に付けた特殊技術に並々ならぬ自信を感じていた。とはいえ、これほどまでに短期間で身に付けられるということは、単なるテクニックではなく才能・・そう、特殊能力があるに違いない。

 

わたしはこれまで、数々の専門職に憧れてきた。溶接工、重機オペレーター、原子炉圧力容器の施工に携わるなどなど、現場作業で活躍する職人になることを夢見ていた。だがどれも叶うことなく、来世こそは・・と諦め半分だったところへきて、幸か不幸か「すいか器職人」というニッチな天職に出会ったのだ。

——まぁ、需要があるとは思えないが、それでも天職たる能力に目覚めたことは、人生における勝ち組といえるだろう。

 

 

こうしてわたしは明日も明後日も、せっせとすいかを掘り(彫り)続けるのである。

 

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