本物のウリを知ってしまったオンナ

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わたしは今日、ひどく感動する出来事に遭遇した。むしろ、なぜ今まで労を惜しんで「丸ごと」を選択してこなかったのか、若干なりとも悔やまれるほどの感動を覚えたのである。

その正体とは・・すいかだ。

 

 

「近所のスーパーからカットすいかが消えるのは、URABEの仕業だ!」

と、自他共に認める怪奇現象の発信源であるわたしは、今夜もいそいそとスーパーへ向かった。時間は午後9時50分・・言い換えれば閉店10分前ということで、確実に値引きシールが貼られている時間帯である。

 

今夜は胃袋の調子がいいため、並んでいるカットすいかを全部買い占めてやろうと、意気揚々と店内に踏み込んだわたしは、まさかの光景に卒倒しそうになった。

(・・・な、なんにもない)

まさかの"カットすいか、ゼロ!"という事態に、わたしは己の目を疑った。陳列棚の下や裏まで隈なくチェックするも、カットすいかはどこにも隠されていない。いったい誰が買い占めたんだ——。

先ほどから気分はすいか一色であり、白桃やシャインマスカットを見たところでまったく欲情しない。にもかかわらずカットすいかは完売しているため、どこをどう探してもわたしの夢は叶わないのである。

 

(・・・・丸ごとなら、売ってるんだ)

 

絶望の海を漂うわたしは、まさかの救助船を発見した。そう、それはカットすいかの親分である"丸ごとすいか"だった。

そのすいかには「ちばラビット」という文字とともに、ウサギのシールが貼られてある。しかも形が縦長で、まるでラグビーボールのようなフォルムだ。思わずパスを回したくなるような——。

そして奇遇にも、今日に限って包丁と料理人を招集できる環境であり、今日を逃したら丸ごとすいかを食す機会は訪れない。

 

こうしてわたしは、未知の世界である"すいかを丸ごと包丁でカットして食べる"という、一大イベントへの第一歩を踏み出したのである。

 

 

帰宅までの道中、わたしはラグビーボールのようなラビットすいかをポンポンと弾ませながら、人間の頭部ほどの重さとツルンとした外皮の手触りを楽しんでいた。そしてポンポンしながらも、己の幸運に身震いしていた。

なんせ皮付きのすいかは、カットすいかと違って生ごみが大量に発生してしまう。だが明日の朝、どのみち可燃ごみを捨てる予定のため、奇遇にも「今夜」というタイミングの良さに酔いしれたのだ。

 

こうして帰宅するやいなや、わたしは四分の一にカットされた"ちばラビット"を頬張った。なんというか、所詮はすいかなので「今まで食べたことのない美味さだ!」とまでは思わないが、贔屓目なしに美味かった。

果肉はシャクシャクでフレッシュそのもの。そして、中心だろうが外皮付近だろうが、まるでイチゴのような甘みがまんべんなく蓄えられているのだ。すいかって、こんなにも甘かったんだ——。

しかも驚くべきことに、外皮の厚みが半端なく薄いのだ。白い部分まで前歯でガリガリ削ると、残った外皮は5ミリ・・いや、2ミリ程度の厚みしかない。目をつむって貪り食ったら、こりゃうっかり外皮まで食べきってしまうぞ——。

 

小玉すいかとはいえ、外皮のこの薄さは驚異的である。なんせ、全体の97%くらいが可食部であるため、外皮の残骸は大した量ではないのだ・・・あぁ、なんというエコな果物(野菜)よ!

そんなことよりも、このすいかが"ちばラビット"だからなのか、はたまたすいかを丸ごと食べるとどれもこうなのかは分からないが、とにかくみずみずしくて美味い。そして芯から外までどこを齧っても甘い。

 

これと比べると、毎日血眼になって買い漁っていたカットすいかは、まるで「ウリ」である。そりゃ、すいかは「西瓜」と書くのだからウリの仲間だが、このすいか・・すなわち本物を知ってしまったからには、今さらニセモノのウリに戻ることなどできない。

しかもありがたいことに、マンションの隣にある喫茶店のマスターが「すいかを一玉買ったなら、ウチでカットしてあげるよ」と言ってくれているわけで、お言葉に甘えて毎日カットしてもらえば、わたしは毎日とても甘くてシャキシャキしたすいかにありつけるわけで——。

 

 

あれほどまでに恋焦がれていた"カットすいかとの逢瀬の日々"が、静かに霞んでいくのを感じるのであった。

 

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