わたしは今、尿意が限界に達している。
友人の話に真剣に耳を傾けるあまり、トイレのタイミングを逃し続けているのだ。
話がひと段落したら・・と思いながら早2時間。
(絶対に、次のタイミングで立ち上がるぞ)
そう強く誓ったにもかかわらず、
(すぐに立ち上がったら、いかにもトイレを我慢していたかのようでカッコ悪いか?)
(よし、話が途切れて3秒空白が続いたら、それとなく立ち上がろう)
などと考えているうちに、何十回と訪れたチャンスを逃し続けたのであった。
しかしいよいよ、漏らすか立ち上がるかの究極の選択を迫られたわたしは、今度こそ意を決して立ち上がった。
自分自身が後戻りできないように、会話の終わりが近づくにつれてソワソワし始めた。そして若干キョロキョロしながら、
「あー、トイレってどこだろ?」
と、別に急いでいるわけではないが、せっかくだからトイレにでも行っておこうかな、という雰囲気を醸しつつ腰を上げたのだ。
非常にスムーズでいい演技だった。我ながら感心してしまう。
こうしてわたしは、念願のトイレへと向かった。
*
大して広くもないカフェだが、意外にもトイレは四つ設置されていた。
一つは女性用、もう一つは男性用。そして残る二つはユニバーサルデザインのトイレ。
通常、ユニバーサルトイレは一つのことが多いが、ここは病院が近くにあるからか二つ設置されている。
トイレへ向かう最後の角を曲がった途端、順番待ちをする女子高生にぶつかりそうになった。見ると、女性用と男性用が使用中で、ユニバーサルトイレは二つとも空いている。
(そうか。この女子高生は万が一のためにもユニバーサルトイレは使ってはいけないと考えたのか)
これは、電車やバスの優先席が空いていても座りにくいのと同じだろう。
老人でも妊婦でも怪我人でもない健康な自分が、いくら空いているからとはいえ、優先席に座ったら白い目で見られる気がする。
・・多くの人がこう考えるだろう。
最悪なのは、どこをどう見ても健康そのもののわたしが、じつは腰を痛めていたり、膝が痛かったりする場合がある。
そんなとき、首から看板でもぶら下げておきたい気分になる。そう、デカデカと「私は怪我をしています」と書かれた看板を。
しかし人によっては、
「空いているなら座っていい。必要な人が乗ってきたら譲ればいいのだから」
とか、
「通勤や帰宅ラッシュのときは気にせず座る。それらしき人が現れたら立つ」
などという意見もあるが、それでもやはり、躊躇してしまう人のほうが多いだろう。
これと似たような状況が「今」である。
とはいえ、厳密には全然違う。電車やバスの場合、優先席が必要な人が乗って来たら立てばいいが、トイレはそうもいかない。
ましてや外の様子をうかがうべくドアを開けていたのでは、用が足せないどころか法に触れる恐れもあるわけで。
だが現在、二つのユニバーサルトイレしか空いていない上に、わたしの膀胱が限界を迎えつつある。
むしろいま限界を突破してしまったら、なんのためにここまで歩いて来たのか分からない。ましてや、せっかくのチャンスをものにしたというのに、ゴール寸前に失禁では報われないにもほどがある。
そこでわたしは、女子高生にそっと尋ねた。
「ユニバーサルトイレ、空いてるから使いなよ」
これで女子高生が、どちらかのユニバーサルトイレに入ってくれれば、続いてわたしももう一方のユニバーサルトイレに入ることができる。
さすがに後から来たわたしが「お先に~」というわけにはいかないからだ。
仮に女子高生が入室を拒否したとしても、わたしのタイムリミットは目の前まで迫っている。そうなったら「じゃあ、わたしが使わせてもらうね」と、はにかみながら入っていくしかない。
だがそんなことをしたら、「あいつ、漏れる寸前だったんだよ。だっせー!」と、テーブルで待つ友人らに報告し、全員でわたしを嘲笑するに決まっている。
いや待てよ。
むしろ「ユニバーサルトイレが必要な人がいるかもしれないのに、わたしたしが使っていたら本当に使いたい人が困るじゃないですか!」と正論を突き付けられる可能性もある。
それはその通りなのだが、少なくとも店内を見渡した感じからして、ユニバーサルトイレが必要そうな人は見当たらないし、トイレに行きたそうな人もいない。
はっ!そうか。わかったぞ。
わたしが、ユニバーサルトイレを必要としている人を演じればいいんだ。見た目では分からないんだから、わたしが該当者であってもおかしくはない。
よし、これでいこう。なにを言い返されたとしても、軽く足を引きずりながら、ユニバーサルトイレに消えよう。絶対にそうしよう。
「いいんですか?ありがとうございます!・・使ってはいけないと思って、勇気が出ませんでした」
女子高生は深々とお辞儀をすると、ユニバーサルトイレのドアをスライドさせた。
(・・・なんていい子なんだ)
女子高生の後ろ姿を見送ると、涙より先に尿がこぼれ落ちそうなわたしは、最後の空室であるユニバーサルトイレへと駆け込んだ。
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