久しぶりに裁判所を訪れた。
「裁判」というものをするにあたり、良いことなど一つもない。
結果的に訴えが認められようが認められまいが、幾ばくかの解決金を得ようが得まいが、そこまでの過程で「嫌な気持ち」にならないことなどないからだ。
裁判をするということは、何らかのトラブルに見舞われている。
うまい具合に着地点が見つからず、法律による解決に頼るしかなくなった人間らが集まる、いわばトラブルの墓場だ。
判決が出て、それに納得しようがしまいが、振り返れば楽しい思い出など何もない。そんなことを繰り返すうちに、いつしか心がマヒして感情すら動かなくなる。
たまにこういうバカがいる。
「オレは裁判に勝ったからすごい」
裁判でしか解決できなかった、己の無能を恥じるべきだ。
*
昨夏のこと。次の仕事までの暇つぶしと避暑の目的で、東京地方裁判所を訪れた。
だがすぐに「ミスった」と後悔する。なぜなら裁判所の中は冷房が効いていないため、クソ蒸し暑いからだ。
かわいそうに裁判官など真っ黒の法服をまとっているため、それこそ「熱中症に気をつけてくださいよ」という感じだ。
とりあえず、設置されているタブレットの開廷表を見ながら、適当な事件を選ぶ。そしてフラっとその部屋(法廷)へ入った。
すでに審理中であり、なんとも重苦しい雰囲気が漂っている。
わたしは右側の入り口から入ったので、右端の一番後ろにそっと腰を下ろす。
すると、原告側の弁護士2人と原告が一斉にわたしを見た。
(え?誰あれ)
と言わんばかりの表情だ。
何となく居心地が悪くなったわたしは、中立的な立場をアピールするために、そっと真ん中へと移動する。
傍聴席は左右8席ずつに分かれており、真ん中の通路を挟んで向こう側の席に座った。
するとまたもや鋭い視線を感じる。
今度は、被告側の弁護士と被告がこちらを凝視している。
(誰だよ、あれ)
と、顔に書いてある。
ーーヤバイ、完全に選択ミスだ。
顔を上げると、正面に座る裁判官と目が合う。
(えっと、どちらさん?)
もし言葉を発するとしたら、こう言いたげな顔だ。
そのうち、裁判官の前に座る書記官と速記官とも目が合う。
こうして、当事者でも関係者でも何でもないわたしは、なぜか法廷内のすべての人物と目が合った。
ーー苦しい。蒸し暑いせいか、息苦しい。
あまりのプレッシャーに耐えかねたわたしは、そそくさと法廷を後にした。
*
無言の圧力により部屋を追い出され、廊下をあてもなくトボトボと歩く。
これといってすることもなければ、法廷内は居心地が悪いし、それでいて涼めるわけでもないーー。
当てが外れたわたしは、左手に見える「証人待合室」を覗いてみる。
(誰もいないか・・)
とそこへ、清掃員らしき老人がモップを引きずりながら入ってきた。
「はいどーも」
清掃員用のユニフォームを着たおじいちゃんは、掃除用具としては使い勝手の悪そうなモップを杖がわりにし、床の汚れを探している。
(あ!汚れを通りすぎた)
明らかに汚れがあったが、おじいちゃんはそれを見逃した。そして真っすぐヨロヨロと進んでいく。
ところどころでモップを動かすが、それは汚れではなく黒いゴムの跡や、経年劣化による色素沈着だったりする。
狭い待合室をぐるっと一周すると、
「はい、失礼しました」
と言って出て行った。
当たり前だが裁判所は税金で運営されている。
リタイアしたお年寄を清掃業務に従事させることで、社会貢献の意味合いも兼ねているのだろう。
今思えば入り口の荷物検査をしていたスタッフも、皆、年寄りだった。
「ピーって鳴ったけどね、気にしなくていいよ」
金属探知機に引っかかったわたしに、そう笑顔でアドバイスをくれるおじいちゃん。
(いや、ダメだろう)
こうして悪者が荷物検査をクリアし、法廷内へと侵入するのではなかろうか。
ーーやや不安が残る。
そして腹立たしくもあり不思議でもあったのが、外に立っていたガードマンが両手フリーのわたしに向かって、ものすごい剣幕で怒鳴りつけてきたことだ。
「コラッ!携帯撮影は禁止だぞ!」
・・・え?わたしのどこに携帯電話がありますか?
あのガードマンが、わたしの何と携帯電話を見間違えたのかは不明。だがとにかく1ミリも悪いことをしていないわたしが、公衆の面前で怒鳴りつけられるとは腑に落ちない。
とは言え、ここで食い付けば奴らの思うツボ。
ーー公安が仕掛けたワナかもしれない。
そう冷静に判断したわたしは、ガードマンに突っかかることもなく、大人の対応で裁判所内へと入ったのだ。
*
やっぱり裁判所なんて、仕事でもプライベートでも来るもんじゃない。
Illustrated by 希鳳
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