二年間眠り続ける夫に届いた、労災認定の通知

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友人の夫は、二年近く眠り続けている。もちろん、本当に寝ているわけではない。くも膜下出血を発症して以来、意識が戻らないままなのだ。

 

最愛のパートナーが倒れてからというもの、これまでとは一変した生活に戸惑いつつも気丈に振る舞う彼女に、とある一通の手紙が届いた。

——それは、労災認定の決定通知だった。

 

 

社労士であるわたしが労災と接する機会といえば、関与先の労働者が転倒して骨折したり、包丁で指を切ったりと、業務中の怪我である場合が多い。中には、パワハラや同僚とのトラブルが原因でメンタルを疲弊してしまい、精神疾患を発症してしまうケースもあるが、そうなる前に職場環境を改善したり配置転換を試みたり、健康な状態で勤務が継続できるよう指導をしている。

そのため、労働者から相談を受ける機会は少なく、仮にそのような相談を受けたとしても、会社と相談の上で申請を進めるように助言するのが、せいぜいといったところ。

なぜなら、労働者はその会社に在籍しているわけで、むやみやたらに暴走してしまっては、会社との関係性にヒビが入りかねないからだ。

 

「調理の途中に包丁で手を切った、あるいは鍋で火傷をした」

「高齢者をベッドから車いすへ移乗させる際に腰を傷めた」

「職場の外階段で滑って転んで骨折した」

このような労災事故であれば、会社としても二つ返事で労災申請に応じる場合がほとんど。なぜなら、業務上起こりうる怪我であったり職場内での偶発的な事故であったりと、百パーセント怪我や事故を防ぐことは難しいからだ。

 

ところが、対人関係や長時間労働、または、仕事の内容に関する出来事が原因で、体調を崩したり精神・心・脳疾患を発症したりすると、なんとなく労災申請に消極的となる会社は多いように感じる。

まぁ確かに、人間関係は会社だけではないし、仕事の内容についても平準化しているし、人員不足の長時間労働が一か月あっただけ・・というような場合に、「それらが原因で心身の不調を来したので、労災申請したい」と言われると、どこかスッキリしない感情が芽生えるのも理解できる。

 

とはいえ、労働者からの申し出を真摯に受け止め、それらが業務に起因するものであれば労災を活用する・・というのは、会社が取るべき正しい姿といえる。なんせ、労災認定を審査するのは労働基準監督署であり、会社や労働者が一方的に申請したところで、必ずしも認定されるとは限らないのだから。

それでも、業務上の疾病ということは会社の安全配慮義務違反を問われる可能性もあり、その結果、多額の損害賠償を請求されることを恐れて、当初の労災申請に消極的な姿勢を示してしまうケースは存在する。

 

——そんなややこしい関係性の中で、昨年夏、高校時代の友人から突然の連絡があった。「夫の病気のことで、労災の相談がしたい」と。

 

友人の配偶者の勤務先とわたしはまったくの無関係のため、労働者側に立った助言をするわけだが、あらゆる面で「ギリギリ該当するかもしれない」というような状況だった。

「新規事業や大型プロジェクトの担当になった」「顧客や取引先から対応が困難な注文や要求等を受けた」「仕事内容・仕事量の大きな変化を生じさせる出来事があった」・・基準としてはこの辺りが該当する。

さらに、一か月に70時間以上(※基準は80時間以上)の時間外労働を行っていたり、「仕事がきつい、つらい」という発言を自宅で漏らしていたり、また、妻の目から見ても明らかに夫の異変を感じていた矢先に、夫は倒れた。

 

友人である妻は、「夫が倒れたのは間違いなく仕事が原因だった」と当初から主張していた。身内なのだから当然そう考えるに決まっているのだが、彼女が立派だったのは、夫の体調変化と業務上の出来事とを時系列で記録していたことだった。

つまり、それほどまでに仕事の影響を懸念し、必死に夫へ訴えかけていたのである。

(もしもこの時点で、仕事量を減らせていたら・・)

彼女から相談を受けた当時、口には出せなかったが何度も心の中でそう呟いた。言葉にしたところで、今さらなんの励ましにもならないのだから・・と、悔しさに苛まれたことを思い出す。

 

それと同時に、会社側があまり協力的ではなかったことも気になった。「見舞金」という名目で所得補償をしてくれたようだが、それと引き換えに「労災申請書類には捺印できない」という雰囲気を匂わせていた。

だが、これはこれで理解できるのだ。会社側としては、業務による具体的な出来事が「認定基準ギリギリ、あるいは基準未満」という認識のため、労災認定イコール民事訴訟へ発展するリスクを排除したかったのだろう。

 

無論、誠意を示すためにも「見舞金」という示談を申し出たわけで、それだけでどうにかしようという気はなかったのかもしれないが、一人残された妻は夫のためにも、労災申請を諦められなかった。しかし、協力を仰ぎたくても会社へは連絡をしづらい状況ゆえに、社労士であり旧友であるわたしに連絡をしてきたのだ。

わたしも精一杯アドバイスを送ったつもりだが、内心、労災認定されるのは難しいのではないかと思っていた。非常に残念ではあるが、障害年金と傷病手当金で手を打つしかないと、勝手に決めつけていたのだ。

 

——あれから一年が経過し、件の友人から一通のメッセージが届いた。

「長らくかかったけど、労災認定の連絡が今日きたよ。夫にも『あなた働きすぎだったんだよ』と伝えた。色々とありがとうね」

驚きのあまり、わたしはしばらく絶句した。まさかといってはなんだが、友人の夫のくも膜下出血について、労災認定がなされたのだ。

 

この報告に対して「よかった」という言葉は不謹慎かもしれない。だが、一年前に必死に動いた妻の苦労が報われたことは、よかったと言っていいだろう。さらに、二人の人生はまだまだ続くわけで、少しでもサポートが増えることは二人にとっても良い知らせのはず。

言うまでもないが、起きてしまった事件や事故を悔やんでも始まらない。だが、高額な医療費や療養費、介護費を負担しなければならない患者や家族をサポートするためには、現実問題として「カネ」が必要となる。そんな、リアルな一筋の光となりうるのが「労災給付」であることを、わたしは改めて知った。

 

ただ、できる限り仕事で身を亡ぼすような働き方は避けてもらいたい。今日で人生が終わるとして、振り返ったときに「仕事が大変だった」という感想では人生がもったいないだろう。

いつ死んでも悔いのない人生を、誰もが送れることを願うのである。

 

サムネイル by 希鳳

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