下腹部を蹴りぬく5秒前

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(お、いよいよその時がくるか?)

一瞬、わたしは軽く身構えたが、相手にその気はなさそうだったので、そのままそっとドアを閉じた。念のためドアレンズから外を覗くも、エレベーターに乗り込み一階へと去って行く男の姿しか確認できなかった。

 

本日のウーバーイーツ配達員は、わたしが玄関のドアを少しだけ開けたところ、そのわずかな隙間の目の前に立ちはだかり、食糧を渡してくれた。

これは言いかえると、玄関から見える室内をすべて見られたことになる。

 

また、我が家のドアは外へ向かって開く構造のため、仮に相手が押し入ってこようとすればいとも簡単に突破されてしまう。これが内側へ開くドアならば、自らの体重を押し当てることで強引に閉め戻すこともできるのだが、相手も押してくるので押し合い合戦となるだろう。

とはいえ、防犯上も「内側に開く」ほうが安全といえる。

 

わたしはその瞬間、考えた。相手はドアを引かなければ入れないわけで、わたしとの間にドア分の距離ができる。そこで、ドアが全開となった時点で下腹部に前蹴りを入れてうずくまらせるか、背後へ倒れるかさせる。そしてすぐさまスマホで動画を回し、下駄箱に立て掛けて収録を開始する。

ちなみにわたしは、ウーバーイーツでもAmazonでも郵便局でも、玄関を開ける際にはスマホを手に持ち、動画画面にしている。よって、赤い丸をタップすればすぐに撮影が開始できる状態になっているのだ。

 

まずは、前蹴りによってうずくまった場合。これはギロチンしかないだろう。チョークがきまらなくてもいい。目的としては、上体を起こしたらもう一度、下腹部へ膝を見舞いたいからだ。

ちなみに「下腹部」とオブラートに包んだ表現を用いているが、いわゆるアソコ、男性の急所を躊躇なく蹴りぬくのである。

 

そして次に、後ろへ倒れた場合。これは馬乗りになるしかない。相手も全力で逃げようとするため、とにかくふんわりとロデオのように乗り続けなければならない。

ある程度その場を制圧できたら、やろうと思っていることがあるがここには書けない。「あいつ、普段からそんなこと考えてるのか」と思われたくないからだ。

 

とまぁこのような感じで、本日の配達員の行動次第では、日頃の鍛錬の成果を発揮できるかと期待したが、そうはならなかった。

思うに相手はわたしの正面に立って、しっかりと目を見ながら食糧を渡すことが「礼儀」だと思ったのかもしれない。

 

最近では宅配便の兄ちゃんなども、あえて顔を見せない=相手の顔も見ないように届け物を手渡す傾向にある。たとえば朝早い時間に配達があった際、こちらも寝起きの状態で玄関のドアを開けることになるので、できれば顔など見られたくないと思っている。

そんな女心を見事に把握した神対応だと、勝手に感心していた。

 

はじめのうちは、ドアの隙間からサッと届け物だけが現れる状況に違和感を覚えたが、今となってはそっちの方がマナーだとも感じるようになった。

そして百歩譲って「顔を見られるだけ」ならばまだしも、わたし越しに「室内を見られること」がとにかく許せない。

相手もわざわざ室内を覗くつもりはないだろうが、それでも視界の先に何かが見えれば、ついそちらへ視線を向けてしまうのがヒトの心理というもの。そして相手の記憶のどこかに、わたしの部屋の「何か」が残ることが許せないのだ。

 

かつては「相手の目を見て挨拶をするのが礼儀」と教わったが、今となっては「シチュエーションに合わせて、相手の顔を見ないようにすることも礼儀」という変化球も当たり前となりつつある。

海外では、ハロウィンの仮装をした男がジャケットの内側に手を突っ込んだまま、驚かせようと友人に近寄ったところ銃殺された事件がある。自分の思惑が、必ずしも相手に受け入れられるものではない、ということを如実に示す事例である。

 

相手との距離感というのは、自らが考える以上にセンシティブな空間なのだと、改めて認識させられる瞬間であった。

 

サムネイル by 希鳳

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