(それにしても不思議だ——なせ同じ白色なのに、ココナッツだと分かるのだろうか)
わたしはとあるタイ料理店で、ココナッツアイスとココナッツミルクタピオカを交互に食べながら、ふとそんなことを考えていた。
たとえば、ココナッツアイスとミルクアイスを同時に注文したとしよう。それでも、目の前に並ぶ二つの白い玉のどちらがココナッツアイスか、言われずとも一瞬で判別できるだろう。そう・・同じ白色であるにもかかわらず、ココナッツかミルクかを見分ける力が、ニンゲンには本能的に搭載されているのだ。
具体的にどのような違いがあるのかというと、ミルクアイスは真っ白というよりオフホワイト・・いや、アイボリーくらいの黄色がかった白である場合が多い。なんせ食べ物というのは、暖色系のほうが食欲をそそるといわれているからだ。
暖色系は脳の空腹中枢を刺激するため、食欲が促進するのだそう。そういった理由からも、真っ白なミルクアイスよりもアイボリーや黄色が買った白色のほうが、思わず手を伸ばしたくなるのである。
ところが、ココナッツアイスに関してはまったく逆の条件が求められる。ココナッツといえば、純白を通り越した白・・そう、青みがかったホワイトこそがココナッツを示す色なのだ。
そして不思議なことに、ココナッツアイスが黄ばんでいたら、それこそ「鮮度が落ちているのでは!」と疑いかねないわけで、青白く不敵な笑みを浮かべるホワイトにこそ、ココナッツであるが故のプライドを感じるのである。
さらに、アイスに限らずココナッツミルクも"洗練された白銀の世界"であることが望ましい。そんな大雪原に散りばめられたタピオカを、スプーンでせっせとすくいながら救出するたびに、なにかをやり遂げた達成感を得ることができるから不思議だ。
よくよく観察すると、タピオカのほうも真っ白なココナッツミルクに浸されていることで、心なしか誇らしい顔をしているではないか。——そりゃそうだ。豊かな環境で育ち、ぬくぬくと大切に作られてきた上質なミルク風呂よりも、過酷な試練を生き抜き、ようやくたどり着いた最期の安寧の地こそが、ココナッツミルクなのだから。
そのシビアで誇り高きセラミックホワイトは、食べ物(飲み物)というより芸術に匹敵する。そのくらいに、他の白い食べ物(飲み物)とは一線を画す何かがあるのだ。
それにしても、ココナッツ以外の白い食べ物(飲み物)で、青白いほうが食欲をそそるものなど、あるのだろうか。
ミルクは先述したとおり、黄色がかっていたほうが美味そうだ。では豆腐はどうだろう——あれだって、青みがかった白よりは、くすんだ白というかアイボリーのほうが美味そうである。ならばパンは——当然ながら、黄ばんだ感じがなければまったく食欲をそそられない。むしろ、パンこそが真っ白よりも温かみのあるホワイトでなければならない。
言うまでもなく、わたしの大好物である生クリームも生成り色こそが象徴であり、青っぽい白などクリームの冒涜といえる。ということは、白い食べ物の中で青みがかった白が許されるのは、ココナッツだけということか——。
そう、とどのつまりは「ココナッツだけが寒色系の白色を許される、唯一の食べ物」なのである。だからこそ我々は、白色のアイスを並べられたとしても、どれがココナッツアイスなのかを見極めることができるのだ。
(ココナッツ・・・なんと偉大な野郎だ)
そんなことを思いながら、ココナッツミルクタピオカの最後の一口を流し込んだのであった。
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